今回の小室哲哉さんの件にここまで批判が広がったのは、引退するっていう衝撃がデカかったのと、病気の妻を抱えているってことがあったからですよね。会見で小室さんがそういう面を出してきたから、文春が弱い者いじめをしているっていう、わかりやすい構図になったと思うんですよね。「病気の人を叩いたらダメだろ」、「仕事を奪っていいのか」って。真実は当事者にしかわからないことだけど、どんな心のない人でも「弱者を叩くのはどうか」と思うわけです。まあ、トータル的に見ると、何にも生産性のない記事だったということなんですが。

 新谷さんは「時代の流れとともに記事を書く」とも言っていたので、今後は不倫のスクープは少なくなってくると思うけど、やめるとも思えないですよね。新谷さんが意味があると判断したら出す。その辺は折れないと思いますよ。

 文春は「忖度しないメディア」だとも言っていましたが、それが新谷さんの正義なわけです。芸能界で仕事をしている僕なんかは、なあなあでも長年それでうまくいってるんだからいいだろうと思うんだけど、そこを伝えるメディアが一つぐらいあってもいいんじゃないか、そういう使命感で雑誌を作っているという新谷さんの思いは、それはそれで間違っていないだろうと思いますよね。流されず、忖度しないってことは基本姿勢としては正しいのかもしれない。

 でも、個人が出されたくないことを出す必要があるのかって問題もあるし、一方で真実を伝えるっていう正義もある。じゃあ、表で良いことばっかり言ってる人が裏で汚職とか愛人つくってたとか、インサイダーで儲けてたとか、そういうことを黙ってていいのかってこともある。僕は雑誌や新聞の同業者の人たちが、新谷さんの言葉をどう感じたか知りたいですよね。新谷さんの意見に賛成するのか、それとも違うのか。そこに興味がありますね。

 新谷さんのポリシーは、いい意味で「頭がおかしい人」なんですよ。すごくいい意味でですよ! まあ、普通の感覚なら、それだけではいかないじゃない。そこは貴乃花親方と似ているんですよ。「わかる!気持ちはわかる!間違ってないよ!でもやり方あんじゃん、親方~!」っていうね。ニコって笑っときゃいいじゃん、そこだけ飲んどきゃいいじゃんって思うでしょ。だから、不倫報道の後の世間の反応に「切なささえ感じる」という言葉は、まったくのウソではないとも思うんですよね。

次のページ
“文春叩き”が見落としていること