1990年代後半には日本、韓国でプレーしたフランコだったが、2001年にメジャー復帰。その後もしばらくは現役を続けていく。このフランコがブレーブスに所属していた2007年9月17日、マーリンズ戦に出場した際の49歳と25日が事実上、最年長野手のプレー記録と言って良い。

 キャリアの終盤においてもフランコは決してお飾りのような存在ではなく、45歳で迎えた2004年シーズンには規定打席には届かなかったが、打率.309を記録している。2006年にもワールドシリーズまであと1勝に迫ったメッツで主に代打の切り札として勝負強さを発揮。翌年にも最年長記録を塗り替える48歳254日でホームランを放つなど、最後まで存在感を誇示し続けた。

 「昨日は歴史で、今日は贈り物。明日はミステリーだ」

 2006年シーズンから07年シーズン途中までをメッツで過ごした際には、筆者を含むメディアにそんな粋なフレーズを吐いて喜ばせたものだった。百戦錬磨の勝負師は貫禄十分。口が達者なだけでなく、コンディション調整にも細心の注意を払い続けた選手だった。油ものを避け、身体に良いものを少量で1日5、6回に渡って摂るといったフランコの食事制限は、若手たちにとっても良い手本だったはずだ。

 振り返ってみれば、選手としてのタイプは違うが、綿密な準備を怠らなかったという点でフランコとイチローには共通点がある。イチローも自身のルーティーンを丹念に守り続けていることはすでに有名な話だ。逆に言えば、そういう積み重ねができる選手でなければ、40代半ばまでメジャーで生き残ることは難しいということなのだろう。(文・杉浦大介)