このような話がある一方で、自分自身はどうかと言えば、古くて壁が薄いアパートの1階に住んでいたこともあるし、帰りが何時になろうとも歩いて帰ることに恐怖を感じるほどのことはない。満員電車は嫌いだが、それはあくまで窮屈だからだ。電車で周囲に警戒する必要性に迫られることはなく、集中しながら本やスマホを見ていられる。

 あるいは、終電を逃したり、急に宿泊したいと思ったりしたら、ネット・カフェで睡眠をとることだってできる。露出の多い服を着ていても、とやかく言われることはない。自衛のために、何らかのコストをかける必要もない。それは、この社会においては当たり前のことではなく、いびつな社会であるがゆえの男性の特権なのだと思う。

 もちろん、男性であっても性暴力の対象になることはある。しかしそれは多くの場合、「不測の事態」として捉えられる。その一方で、女性にとって、それは「日常」なのだ。四六時中周囲を警戒しなければならない生活というのは、考えただけでも気が滅入る。社会運動に携わっていると、盛大なバッシングにあうこともあるので、そういう時はいつもより周囲に警戒することもあるが、それだけでも私自身は相当なストレスで気を病んだこともある。それが「日常」なんて考えたくもない。

 しかも性暴力の場合には、被害に遭えば、「誘惑するような服装をしているのがいけない」とか、「一人で夜道を歩くのがいけない」とか、被害者に責任を押し付けるようなセカンド・レイプの言葉がはびこることになる。この社会では、女性であるということが、日常生活を送るだけでも、大きなハードルになっている。

 こういった現状を引き受けずに、「女性だけの街」を求める声を非難するのは、間違いだと私は思う。女性、男性にかかわらず、暴力から避難できる場があったほうがいいという願望が語られるのは、当然のことだ。そんなつぶやきを非難するくらいなら、社会の現状を変えていく努力をしたほうがいい。

 他者の認識や感情をそっくりそのまま理解し、共感することはできなくても、違いを前提にしながら、そこにどんな社会的な問題があるのかを考えることはできるはずだ。まずは女性か、男性かで見え方が大きく変わってしまうような今の社会状況を、私たち自身の問題として見つめ直すところから始める必要があるように思う。(諏訪原健)

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諏訪原健

諏訪原健

諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した

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