本市内の中学校で教職員向けの研修プログラムで教壇に立つのは、通信制高校に通う成毛侑瑠樺さん(なるげ・うるか/17歳)。小学3年生から不登校になり、いまは「“学校”をつくりたい」という夢のために動き始めた。どんな学校を求めているのか。教師たち、大人たちに伝えたいことは何なのか。全国不登校新聞の編集長・石井志昂さんが聞いた。

*  *  *

――まずは成毛さんが不登校になった理由から聞かせてください。

 すごくふつうの不登校だったと思います。

 私の記憶では不登校の始まりは小学校3年生です。学校へ行きたくない私は、毎朝のように泣いてわめいて親に引きずられて……という日をくり返していました。それ自体は多くの不登校家庭と同じだと思いますが、少し変わっているのは、私がわが家で3人目の不登校だったということです。

 ひとりは4歳年上の兄ですし、もうひとりは母です。

――え? お母さんも不登校だったんですか。

 母は学生時代、不登校だったそうなんです。不登校だったからこそ、子どもたちには「学校で楽しい思いをさせてあげたかった」と思っていたそうです。

 その後は私も含め家族5人、みんな不登校になりました。母も最近では「不登校はうちの文化」だとまわりに話しているそうです。母は学校へ行く、行かないを問題にするのではなく「自分自身がどうするかが一番大事だよ」というスタンスで私たちと向き合ってくれていると感じています。

――なるほど。そんな成毛さんは「学校をつくること」が夢だそうですね。

 はい。正確に言えば「公教育の場を整備したい」というのが私の夢です。私立学校をつくりたいとか、フリースクールをつくりたいということではなく、公教育全体を変えたいというのが私の夢です。

 というのも出会ってきた先生たちのなかには「どう学校へ行かせるか」ばかりを考えていて「不登校した人の気持ちを見れていないのでは」と感じる人もいました。

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石井志昂

石井志昂

石井志昂(いしい・しこう)/1982年、東京都町田市出身。中学校受験を機に学校生活があわなくなり、教員や校則、いじめなどを理由に中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からNPO法人全国不登校新聞社が発行する『不登校新聞』のスタッフとなり、2006年から編集長。これまで、不登校の子どもや若者、識者など400人以上に取材してきた

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