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松坂大輔、中日入団を勝ち取った恐るべき“執念”

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喜瀬雅則dot.
中日への入団が決まった松坂大輔 (c)朝日新聞社

中日への入団が決まった松坂大輔 (c)朝日新聞社

 現役引退を強いられたわけではない。しかし、それは事実上の戦力外も意味する。松坂クラスの選手になれば、自分で、自分の引き際を決めなければいけない。ぼろぼろになる前に、晩節を汚さぬよう、自ら身を引くのか。それとも、何を言われようとも、とことんまで、野球にこだわり、しがみつくのか。松坂は、後者を選んだ。だから、ソフトバンクを去った。復活への猶予を与えるというその厚遇を蹴ったのは、自分はあくまで「現役投手」だという矜恃だ。愚直なまでの野球へのこだわり。テストの「合格」を決めた直後、中日・森繁和監督は「納得がいっていないんだろう。ここでやめるかどうか、そんなことは分からない。でも、そういう道を、私が作ってもいいのかな。そうさせる何かが、あいつにはある」と、松坂の“執念”を、何よりも評価した。

 ソフトバンク退団直前の昨年11月の時点でも、ブルペンで捕手を座らせ、本格投球を再開させていた。名古屋でのテストに合わせ、ロサンゼルスでもトレーニングを積んだ。メジャーのキャンプインは2月中旬。その1カ月前にあたるこの時期、全盛期の松坂だったら、体作りがメーンで、ブルペンに入ることなどないだろう。それでも松坂は、底冷えのする名古屋の室内練習場で、全力で投げた。ストレートにスライダー、カーブ、チェンジアップ。森監督は、22球を投げたところで、ストップをかけると「よし、着替えてから、しっかり会見してこい」。それが、合格への合図だった。

「はっきりと『合格』って言われなかったんです」と笑いながら明かした松坂だったが、非公開で行われた入団テストで、投球らしき“ミット音”が、報道陣に聞こえていたのは、ほんの5分ほどのこと。18歳の松坂大輔が西武に入団した1999年、2軍投手コーチとして、若い剛腕の凄さを間近で見続けてきた指揮官にとって、19年後の変化は、ひと目見ただけで分かっただろう。それでも、松坂の心が“折れていない”と分かれば、それでよかったのだ。

「やり尽くすまで、ここでやってみればいい。どこまでついてくるのか、今後を楽しみにしています。松坂世代といってる連中もいる。あるもの全部を見せて、言葉で、体で、自分の後ろ姿で、いろんなものを若い選手に教えて欲しい」

 指揮官は、合格を告げた後の会見でそう語った。調整のスケジュールに関しても、松坂に「キャンプで過ごすタイミングの中で言ってくれ」と告げた。それでも、松坂に甘えるつもりなどない。

「何度も言いますが、僕はここ何年も投げていません。僕の中では、テストが終わったらキャンプ、キャンプをしっかり過ごしてオープン戦、オープン戦でしっかり結果を残して開幕。しっかりと開幕を目指す上で、キャンプまでに『100』にしていきたい」

 キャンプのブルペンで投げ、バッティング練習で投手を務め、シート打撃に登板し、紅白戦で投げ、結果を出した上でオープン戦のマウンドをつかみ、そして開幕へ。1つ1つの関門を、自分の力で突破できる。その自信があるから、名古屋という、最後の勝負をかける新天地へやって来たのだ。



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