阪神・藤浪晋太郎 (c)朝日新聞社
阪神・藤浪晋太郎 (c)朝日新聞社

 このオフ、プロ野球界で最も関心を集めた話題は大谷翔平日本ハム→エンゼルス)のメジャー移籍だった。米国のニュースサイトでもFA選手の番付で1位にランクインするなど、その話題は国内にとどまらず、先月9日(日本時間10日)に現地で行われた入団会見には日米多くのマスコミが殺到した。

 その一方で同世代を代表するもう一人の投手が苦しんでいる。藤浪晋太郎(阪神)だ。ともに190cmを超える長身で150キロ以上のスピードボールを誇る二人の明暗がどうしてここまで分かれることになったのか、また藤浪が復活するためのポイントはどこにあるのか、これまでの歩みを振り返りながら探ってみたいと思う。

 高校時代、最初に評判となったのは大谷の方だった。2年夏の甲子園に出場すると、下半身に故障を抱えながらも150キロをマークして見せたのだ。菊池雄星(西武)と入れ替わりで現れた東北のスター選手に高校球界は沸いた。

 しかし、この評価は翌年あっさりと入れ替わることとなる。故障の影響で冬の間ピッチングが思うようにできなかった大谷に対し、藤浪は2年夏の大阪大会決勝で敗れた悔しさをバネに大きく成長。3年春のセンバツでは初戦で対戦し、9-2の大差で藤浪擁する大阪桐蔭が勝利したのだ。大谷もこの試合で先制のホームランを放ち、投げても11三振を奪ったものの、与えた四死球も11と自滅。終盤に立て続けに暴投を記録するなど、未完成な部分が目立つ内容だった。

 一方の藤浪はその後も見事な投球を続けて優勝に大きく貢献。続く夏の甲子園でも4試合に完投して自責点2と抜群のピッチングを見せ、春夏連覇を達成している。ちなみに藤浪は春夏の甲子園で登板した9試合全てで150キロ以上をマークしており、そのスピードと安定感は長い甲子園の歴史の中でもトップだったと言えるだろう。

 プロ入り後も先にチームの主力になったのは藤浪だった。1年目の開幕からローテーションに定着すると、8月に月間MVPを受賞するなどいきなり10勝をマーク。新人王は最多勝を獲得した小川泰弘(ヤクルト)に譲ったが、新人特別賞を受賞するなど、高校卒ルーキーとしては見事なスタートを切った。2年目は防御率こそ悪化したものの規定投球回数をクリアして11勝をマーク。そして3年目にはチームトップの14勝を挙げ、最多奪三振のタイトルも獲得するなどリーグを代表する投手へと成長を遂げた。ちなみに高校卒の投手が入団1年目から3年連続で二桁勝利をマークしたのは松坂大輔(当時西武)以来の快挙である。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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