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 9月25日のヤクルトvs巨人(東京ドーム)で、7回に亀井善行が球団通算9999号を記録。巨人はプロ野球史上初の球団通算1万号にリーチをかけた。

 翌26日のヤクルト戦、記念すべき大台は、はたして誰が記録するのか? 阿部慎之助か?坂本勇人か?それともマギーか?ファンが熱い視線を送るなか、快挙を成し遂げたのは、意外にもこの日、7番レフトで出場した10年目の内野手・中井大介だった。

 1対0で迎えた4回1死、フルカウントから岩橋慶侍の6球目、内角直球をコンパクトに振り抜くと、きれいな弧を描いた打球が左翼席に吸い込まれていった。2回の先制打も中井が記録しており、2打数2安打2打点、うれしさもひとしおだったことだろう。

 ところが、打った直後、通算1万号になったことに気づき、「あ、やばい!」と顔がひきつった。

「すごく光栄なことなんですけど、少し複雑というか……。僕で良かったのかなという思いもありますけど……」(中井)

 球団本塁打は1936年7月15日に中島治康が第1号を記録。2000号、3000号はいずれも王貞治が記録するなど、「やっぱりこの人」と納得するようなホームラン打者が顔を並べている。

 その一方で、1000号は8番打者の土屋正孝、5000号は投手の槙原寛己が記録するなど、意外な面子や生え抜き以外の選手も少なくない。

 そんな中でも、中井は歴とした巨人ひと筋の10年選手なのだから、遠慮することなく、堂々と“10000号目の男”を誇ってもいいと思う。ちなみに9999本目を放った亀井も巨人ひと筋の13年選手だが、ルーキー時代の長嶋茂雄がベースを踏み忘れてさえいなければ、1万本目だったわけで、これまた人間の運命の不思議さである。

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 プロ野球史上初となる巨人の球団通算1万号が記録された3日後、今度はプロ野球通算10万号が飛び出した。1936年5月4日、大阪タイガースの藤井勇がプロ野球第1号を記録して以来、82年目にして到達したメモリアルアーチを放ったのは、オリックスの主砲・マレーロだった。

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まさに災い転じて福となす?