しかしベトナムはその後、30年にわたる長い戦争の時代を体験する。線路は破壊され、フランス、そしてアメリカはこの土地から去っていった。ベトナムは南北統一を果たしたが、生活はその後のほうが厳しかった。カンボジアに侵攻し、世界から非難を浴びる。アセアン諸国は厳しい経済制裁を科した。

 ベトナムが復活するのは、1986年、ドイモイという開放政策に転じたからだ。やがて経済成長の軌道に乗っていく。

 フランスが建てた駅舎に、「かわいいッ」と歓声を挙げて訪れるベトナムの若者は、ベトナム戦争を知らないどころか、統一後の苦しさも味わっていない。ドイモイ以降に生まれた若者が、カップルと手をつないで、この駅をバックに写真を撮るようになっていく。

 日本でいったら軽井沢なのだ。ベトナムのシニア世代は、複雑な表情を浮かべるのかもしれないが、若者は屈託のない笑顔でシャッターを切る。

 そうこうしているうちに、残った線路を利用し、わずか7キロだが、ダラット駅から観光列車が走るようになった。車両はかつてのフランス時代をにおわせる装飾が施されている。いまのベトナムの若者にとって、フランスの時代は、植民地ではなく、ただのレトロなのだ。

 これをたくましさというのだろうか。

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下川裕治

下川裕治

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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