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 コラムで書いたのは、病室や自宅でひとり考えてきたことだ。それがどう読まれるか、影響を与えるかどうかはわからない。ただ誰かに届けばいいと、紙面に載るあてもないまま、一気に書き上げた。

 思えば、暗闇の池へ念じながら小石を投げるようなこのときの気分が、かつて言われた「祈る」ということだったのだ。記事で社会をひとつの方向に変えよう、正そうと力めばともすると独善に陥り、かえって読者の胸に響かないかもしれない。記事に思いを込め、読者に届いたらあとはゆだねる。そんな心の持ちようを先輩記者は「祈る」と表現したのではないか。

 ともあれ、小石を投じた先からはポチャンという水音が返ってきた。平さんはSNSで細野さんの感想を読み、コラムの提案について超党派で勉強会をするために、連絡を取り出したそうだ。私の知らないところで始まった、こうした動きの行方を見守りたい。

 言葉はときに、歳月をへて発芽する。そんな言葉を自分も残せれば、と思う。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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