乱闘騒動を繰り広げた元巨人のガルベス (c)朝日新聞社
乱闘騒動を繰り広げた元巨人のガルベス (c)朝日新聞社
阪神時代のメイ (c)朝日新聞社
阪神時代のメイ (c)朝日新聞社

 球春到来が待ち遠しい中、プロ野球各球団の戦力補強は年が明けても続いている。その中でチーム浮沈の大きな鍵を握るのが新外国人選手たち。彼らの活躍を期待する前に、90年代以降に日本球界でプレーした助っ人たちの中で、違った意味でインパクトを残した「悪童」たちを振り返ってみよう。

【写真】監督中傷ビラをばらまいたメイ

■メル・ホール(1993年~95年、ロッテ中日

 元ヤンキースの4番打者として鳴り物入りで来日し、1年目はチームの4冠王(打率、本塁打、打点、盗塁)と活躍。しかし、自分の打席が終わると隣室でテレビゲームをしたり、チームメイトのミューレン(ヘンスリー・ミューレンス)を使いパシリにしたりと、素行の悪さで首脳陣、チームメイトから煙たがられた。帰国引退後は母国でバスケットボールチームのコーチをしていたが、複数の未成年へのわいせつ行為、強姦罪を重ね、禁錮45年の刑を受けた。

■ケビン・ミッチェル(1995年、ダイエー)

 メジャーリーグのストライキの余波を受け、現役バリバリのメジャーリーガーとして来日。開幕戦で初打席満塁本塁打というド派手なデビューを飾ったが、その後は「微熱」、「右ひざ痛」などを理由に度々欠場し、5月に無断帰国。7月に再来日していきなり1試合4安打を放ったが、再び無断帰国して解雇。朝まで飲み歩く姿も目撃され、揚げ句の果てに球団と金銭面でのトラブルを起こし、「金と共に去りぬ」と揶揄された。現役引退後も問題行動は続き、暴行容疑で複数回逮捕された。

■バルビーノ・ガルベス(1996年~2000年:巨人

 ドミニカ共和国出身の右腕。来日1年目の96年に最多勝となる16勝を挙げて「メークドラマ」に貢献したが、その一方で山崎武司への危険投球で乱闘に発展。ただ、この時はオフのテレビCMで「カルシウム、フソク、シテイマセンカ?」と話して笑って済ませたが、その後もマウンド上での気性の荒さが目立ち、98年7月31日の阪神戦で、球審の判定に不服を抱き、直後に被弾して交代を告げられると、いら立ちのままに審判団に向かってボールを投げつけて「シーズンの残り試合出場停止」という処分を受けた。翌99年には2本の満塁本塁打を放つ偉業を達成するなど高い能力を見せたが、最後まで問題児としての印象が付いて回った。

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「監督批判のビラまき」のあの選手