最後の紅白でどんなステージを見せてくれるのか。(写真:avex提供)
最後の紅白でどんなステージを見せてくれるのか。(写真:avex提供)

 2018年9月で引退するため、31日夜が最後の紅白となる安室奈美恵。その歌姫を「奈美恵ちゃん」と呼び、デビュー前の26年前から彼女の「美」を支え続けてきたヘア&メイクアップアーティスト・中野明海さん。おそらく業界内で最も古くから安室奈美恵の素顔を知り、彼女が信頼を寄せ続けてきた1人だ。アムラー現象から始まり、伝説と化した「美」はどうやって生まれ、進化してきたのか。「平成の歌姫」の誕生秘話をAERA dot.が独占インタビューした。

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――安室奈美恵さんと出会ったのはいつごろですか。

 デビュー前の26年前になりますね。アイスのCM撮影で、沖縄からデビューする予定のかわいい女の子たち5人が踊る、というものでした。そこで会った、14歳になったばかりの彼女はもう既に“安室奈美恵”でした。体のバランスも、踊りのスケール感も、見せ方もすべてが特別で、私には1人だけ違う時空にいるように見えました。「何だこの子は! こんな逸材見たことがない!」って。その後、デビューしてからも雑誌やCDジャケット、CM撮影、ライブツアーなど、機会があれば喜んでやらせてもらっています。

――現在放映中のテレビCM「安室奈美恵×docomo 25年の軌跡」は1992年のデビューから現在までの“安室奈美恵”を再現しています。どうやって挑んだのでしょうか。

 いつも私と彼女は、あまり「ああしよう、こうしよう」と話し合ったりしないんです。特にヘアメイクは現場で微調整ができるので、「とにかく仕上げてみるね」っていう感じで。

 昔、彼女がこう言ったことがあります。「ヘアメイクにはヘアメイクのプロフェッショナルがいて、衣装のプロ、映像のプロ、企画のプロがいる。私は歌って踊る音楽のプロ。メイクについて嫌か良いかはわかるけど、ここをこうしてほしいという具体的な言葉は持ち合わせていない」と。つまり、アイラインを2ミリ短くしてとか、このブランドのこの服を持ってきてとか、指示をするなら自分でやればいいわけです。奈美恵ちゃんは昔から、自分の趣味をわかってくれて、もっと専門的なことを知っている人に任せたいと考えていました。そうすることによって、自分が思ってもみないような素敵なものが出来上がる、って。なので私も「私に頼んでくれたんだから、私は私の世界で奈美恵ちゃんが嫌じゃない、もっと良く見える方法を考えればいい」と、私なりに120%の力を出すことを考えてやってきました。

 今回のCMでは監督さんたちとの打ち合わせで、いまの奈美恵ちゃんの1992年風をつくるのではなく、「そこまでやるの!?」っていうぐらい徹底的に再現しようということになり、細部までこだわっています。過去のものも、私がやらせてもらったメイクが多くあるので必要な情報は頭の中にあるんです。そこから緻密に再現しました。

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アムラ―がまねた細眉誕生の秘話