野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中
野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中
VRがあれば、自宅にいてもあちこちに行く体験ができる?(※イメージ写真)
VRがあれば、自宅にいてもあちこちに行く体験ができる?(※イメージ写真)

 働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。

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 東京、神奈川、千葉、埼玉をすべて足し合わせたのと同じぐらい広い福島県。そこを走り回った私の愛車は今も、2年近く暮らした福島市内の駐車場に置きっぱなしになっている。故障もしてないのにそこから動かないのは、それがグーグルのストリートビューの映像だからだ。

 スマートフォンの画面上を人さし指で移動していくと、私が勤めていた朝日新聞福島総局に着く。路上を掃いている顔見知りの中年女性の服装をみると、夏に撮影されたらしい。紙面や連載のことを考えるのがただ楽しかった日々がよみがえった。画面を閉じれば、目の前にはいつものベッドからの風景が広がる。だが束の間ひたった懐かしさはなかなか心を去らない。

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 都心部が気温7.2度と冷え込んだ先日。外気に触れる部分を少しでも減らそうと片方の目をつむり、寒さで半ばねじれた体で自宅に向かっていた。次のコラムのことを考えていて、バーチャルリアリティー(VR、仮想現実)はどうだろうとふと頭に浮かんだ。玄関前で愛車の実物の脇を通り抜け、ベッドにもぐりこんだ。1時間もたてば、大学時代にメディアのことを学んだ研究生仲間が忘年会に集まりはじめる。こわばった体をほどかなくてはならない。

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 訪ねてきた人としゃべる。文章を読み書きする。昔ほど出かけられないぶん、どちらも自分の「体験」を広げたり人に伝えたりするために欠かせない。そこにVRが加わったらどうかというのが、帰り道に思いついたアイデアだ。

 きっかけは前回のコラムだ。「病気」と闘っている実感はないと書いたところ、「亡夫が言えなかったことを書いていただいてありがたい。固定した闘病イメージにむしろ苦しめられる現実。少しでもズレが埋まれば」との感想が寄せられた。ただ、私たちと似た体験がなければ共感しにくいかもしれない。そこで登場するのがVRだ。感覚や感情に働きかける仕組みをつくれたら理解したい人には役立つのではないか――。

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 VRをめぐっては、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の報道に使えないかと福島時代に考えたことがある。「行政から指示が出ていなくても避難するか」「『もう住める』と言われたふるさとに帰るか」。被災した人たちが迫られた選択を時間軸に沿って追体験する仕組みをつくることで、福島以外で進む風化にあらがえたらと思った。

 それ以外にも、特殊な器具で視野を狭め、手袋で指先の感覚を鈍らせてお年寄りの世界を体験する学生のニュースを見たことがある。これも共感を生み、考えるための仕掛けだ。

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野上祐

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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