上から目線の自信家に論破調で来られたとき、こういう人は何を考えているのだろうかと思った。われわれに影響を与えたいのか? 馬鹿にしてスカッとしたいのか? 教育してやるから言うことを聞けという、自分の部下にするような気持ちなのだろうか。

 一緒にいた先輩たちが言葉には出さないが「あいつらにちょっとお仕置きをしてやろうか」という感じの顔になっていたのをよく覚えている。自分のほうが頭がいい、知識がある、と思っている人間のやる行為は、明らかに逆効果な場合が多いのだ。頭がいいかもしれないが、愚(おろ)かなのだ。

 加えて、自信家はどんどん脇が甘くなっていく。自信を持って成功してきた経験が次への準備を怠らせる。自信があるから未来の想定も甘くなりがちだ。相手を不快にさせるだけでなく、相手の出方を含めた未来の想定をなめてしまい、自分の能力をさらに過信していく。こうして悪循環になっていく。

 自信のあるときこそ、自信のある人こそ、謙虚にそして危機感を持って事に対応すべきなのは洋の東西、何事にでも言えることだ。

■責任感が強い

 これも一種の正義感だが、背景にあるのが自分の正義ではなく、組織のためのものであるから献身的であり、身勝手な正義よりレベルが高い。人事や業績や戦略に責任を感じているから、他者と戦ってしまうのだ。こういう人がいてくれたら組織にとって奇跡だといえるだろう。身を挺(てい)して組織のために組織内のアホに立ち向かう人なんて普通はなかなかいない。

 でも、やり方に問題があると思う。どんな理由だろうが、アホに思える相手とは戦ってはいけない。それが自分の信念のためであろうが、所属している組織全体のためであろうが、彼から見たら、向かってきているという事実は同じである。アホは組織全体のことなどそんなに考えてはいない。そもそもだからアホなのだ。

 責任感を感じているなら、組織のためならば、戦ってはいけない。相手を気持ちよくさせて組織のために誘導しないといけない。先ほど述べたように、嫉妬社会・日本では、能力ある本来なら出世してほしい人が、多くのアホに結託され、途中で足を引っ張られ、引きずり下ろされてしまいがちだ。アホは権力にすり寄ってきた場合が多いので、その分彼らは権力の中枢に発信力を持っている。そういう人間を敵にして、怒らせては組織のためにならないのだ。

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