彼らの漫才は同業者である芸人の間でも評判が高かったのだが、なかなか結果が追いついてこなかった。「M-1グランプリ」では毎年のように準決勝敗退。決勝への分厚い壁をいつまで経っても破ることができなかった。特に、2015年の敗者復活戦でトレンディエンジェルに敗れて2位になったのは、彼らにとって痛恨の極みだったに違いない。敗者復活戦を制したトレンディエンジェルは、その勢いのままに優勝してしまったからだ。あと一歩の運に見放され、彼らは長い低迷期を過ごした。

 大阪を拠点に活動していた頃には収入も仕事もそれなりにあったのだが、上京してみると一気にどん底に落ちた。芸人としての収入が足りず、久保田は生活のためにリヤカーを引いて石焼き芋を売ったり、知り合いのホステスの犬の散歩をして日銭を稼いでいた。妻の財布からこっそりお金を抜いて、警察を呼ばれたこともあった。そんな妻とは上京後に離婚することになり、精神的に限界まで追い詰められた久保田は「東京は『頭が狂う』と書いて『頭狂』です」という言葉を残すほどだった。

 思うように結果が出ずに苦しんでいたのは村田も同じだった。仕事がなくて毎日家にいた時期には、長渕剛の「東京」を聴きながら、フローリングで四つんばいになって40分間泣いていたこともあったという。また、村田には、同じく上京組で肉体労働のバイトに精を出している先輩芸人のソラシド・本坊元児がいた。村田は、自分と同じように東京で苦しい生活を送っていた本坊の姿を映像に収めて、自ら編集も手がけ、1本のドキュメンタリー作品にまとめた。これは笑いあり涙ありの傑作としてお笑いファンの間で話題になり、2014年の「第6回沖縄国際映画祭」で上映された。

「M-1」では「結成15年以内」という出場資格が定められている。2002年に結成したとろサーモンにとって、2017年の「M-1」は正真正銘、最後のチャンスだった。決勝進出が決まった直後のインタビューの際、久保田は興奮冷めやらぬ様子で「神様がいた! 神様がいた!」と何度もつぶやいていた。

 久保田の言う通り、神様はいた。その後、決勝戦の激闘を制して、とろサーモンは「M-1グランプリ」第13代王者となった。業界内で誰もが認める才能を持ちながら、運に見放され、泥水をすすり続けた2人が、最後の最後に栄冠に輝いた。優勝の後、久保田はツイッターでこんな言葉を残している。

「これは汗と血の代価で成し遂げた偉大なる勝利です」

(文・ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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