珍名踏切マニアがいく! 駿豆線にある「無名」という名の踏切 (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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珍名踏切マニアがいく! 駿豆線にある「無名」という名の踏切

連載「珍名踏切が好き!」

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今尾恵介dot.#鉄道
伊豆箱根鉄道駿豆線の伊豆長岡駅。温泉への玄関口だが、無名踏切へは反対側へ回る

伊豆箱根鉄道駿豆線の伊豆長岡駅。温泉への玄関口だが、無名踏切へは反対側へ回る

なだらかな稜線を見せる伊豆半島の脊梁山地を背景にした無名踏切

なだらかな稜線を見せる伊豆半島の脊梁山地を背景にした無名踏切

願成就院。北条時政による建立

願成就院。北条時政による建立

今回紹介した踏切周辺の地図

今回紹介した踏切周辺の地図

 すぐ近くで軽トラックに荷物を積んでいた、70代と覚しき男性に無名の言われを尋ねてみると、「あそこは昔から農道で何も名前がなかったからじゃないかな」とのこと。「地名は寺家。その通り寺が多いでしょう。それから北条氏ゆかりの土地だからね。史跡があちこちにある。歴史の街だよ」と誇り高そうだ。

 源頼朝が流された蛭ヶ小島も近くですよねと問えば「11時の方角ね」と即答。そういう表現の仕方は久しぶりに聞いた気がする。11時いえば北北西に近いが、そもそも伝説上だからそんなに厳密に特定できるのだろうか。後で調べたら11時ではなくて1時の方角に「源頼朝配流の地 蛭ヶ小島」の記念碑と駐車場つきの公園が整備されていた。おじさんの11時は異説による比定地なのかもしれない。

 文字通り寺の集まる守山東麓の方へ行ってみよう。ちなみにその山の西側を流れるのが狩野川である。交通量が多くひっきりなしに車が行き交う国道136号を渡った。これが下田街道で、南下すれば湯ヶ島を経て天城峠を越える。かの『伊豆の踊子』の舞台である。ほどなく願成就院(がんじょうじゅいん)の山門が迫ってきた。由緒ありそうな寺で、本堂へ回って合掌していると、作務衣を着た洋夷、いや、西洋人が挨拶してくれた。スコットランドのご出身で、英語の教師として来日。縁あってこの寺に入ったという。奥様は日本人とのこと。

 寺の冊子を坊さんから購入して読んでみると、願成就院は高野山真言宗。頼朝の妻政子の父である北条時政が奥州藤原氏の征伐成功を祈って文治5(1189)年に建立したと、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』に記されているという。そういえば境内には北条時政の墓の案内板もあった。寺には当時すでに一流の仏師として知られていた運慶の作になる、いずれも国宝の阿弥陀如来座像、不動明王像が安置されているという。たまたま通りかかったにもかかわらず、由緒ある寺であった。

 ふと頭に浮かんだのが無名の意味。これはひょっとすると仏教用語から転じた可能性はないだろうか。踏切にはルビで「むめいふみきり」とあったが、ルビは時に間違っていることも珍しくない。小字の地名でもなさそうだし、由来を知る人がなくなれば適当に読むしかないのである。呉音なら「むみょう」で仏教らしくなるが、仏教用語で用いられる同じ発音は「無明」の方で、これは違いそうだ。

 無明を『広辞苑』第3版で引いてみたら「真理に暗いこと。一切の迷妄・煩悩の根源……」などとある。この踏切で己の無明を認識して寺へ行くよう諭すメッセージだろうか。いやいや、全国の他の踏切のむしろ刹那的とさえ言えるネーミングを思い浮かべてみれば、そんなはずはない。やはり無名の農道に設置した踏切というシンプル系の由来だろう。まあ踏切本人に言わせればどちらでも同じことで、とにかく電車が近づきゃ毎日カンカン鳴らしては遮断桿(かん)を降ろし、往来を安全に見守るだけの話である。

 誰かがやらねばならない「無名の仕事」を文句も言わずに愚直に続けることの大切さを、わずかな待ち時間でも感じていただきたい、とこの踏切は控えめに発しているのではないか。


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今尾恵介

今尾恵介(いまお・けいすけ)/1959年神奈川県生まれ。地図研究家。明治大学文学部中退。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。音楽出版社勤務を経て、1991年より執筆業を開始。地図や地形図の著作を主に手がけるほか、地名や鉄道にも造詣が深い。主な著書に、『地図で読む戦争の時代』『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』(白水社)、『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)など多数。現在(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査

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