「難治がん」の記者 ウーマン・村本が「ニヤリ」としたAbemaTVでの発言 (3/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「難治がん」の記者 ウーマン・村本が「ニヤリ」としたAbemaTVでの発言

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

番組後に出演者と(家族撮影)

番組後に出演者と(家族撮影)

番組で紹介された筆者のコラム(2016年7月9日付 朝日新聞朝刊より)

番組で紹介された筆者のコラム(2016年7月9日付 朝日新聞朝刊より)

 問題は原稿だ。この日の早いうちに初稿を担当者に送り、その意見を聞いたうえで2日後に最終稿を戻すことになっている。時間がたてば体調はさらに悪くなるかもしれない。最低限の初稿は届けなければとスマートフォンを使って書いていると、最終稿の締め切りが1日早まったと連絡がきた。

 だが泣き言は言えない。なにしろ番組で「いっちょやってみるか」と大見えを切ったばかりなのだ。しかも高熱という「ネタ」まで転がり込んできている。

 何とか初稿を書き終え、担当者に送った。看護師との会話に引っかけて「厳しい質問をされたわけでもないのに倒れるなんて」というオチにした。熱で神経が高ぶったせいか、妙に作りこんだ文章になった。一夜明けて熱が下がり、入院が遠のいたところで全面的に書き直した。それが、いま読んでいただいているこの文章だ。

 本当のことを言えば、体調が万全なときを10とすると現在は5だから5割程度の文章が書ける――というものではない。いくらがんを「ネタ」と呼ぼうと、体調が本当に悪くなり、いざ大物の「ネタ」を手に入れたら何も書けなくなることはこの1年10カ月で身に染みている。

 締め付けられるようなおなかの痛みでソファにへたり込み、帰宅した配偶者に「お帰り」のひとことも言えなかったこと。頭にかすみがかかったように集中できず、あれだけ好きな本を2、3ページ以上読み進められない日々が続いたこと。

 しんどさの中身は別にして、これからもさまざまな大波、小波に見舞われていくことは避けられないのだ。

 だからこそ、やれるときに、できることを、精いっぱいやる。そんな原点を改めてかみしめた、テレビ出演の「光」と、その後の「闇」だった。


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野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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