荷風が20世紀初頭のニューオーリンズで数年間を過ごしていたら……。そう思ってしまうのは、僕だけではないだろう。彼の文学活動そのものが異なるものになっていたかもしれないし、もう一つ、別のポイントもある。

 アメリカ人音楽家W.C.ハンディがミシシッピ州タトワイラーの「鉄道の十字路」で不思議な5音階を耳にして譜面に書き記したのは、1902年。のちにそれが「セントルイス・ブルース」などにつながっていくのだが、ニューオーリンズを目指す旅の途中で荷風もまたそういう音を体験していたかもしれないのだ。

 結局、周囲からの忠告もあってニューオーリンズ行きを断念した彼はミシガン州カラマズーのカレッジに向かった。シカゴとデトロイトのどちらからも約200キロの距離にあるカラマズーは、ギブソン社の拠点。当時はまだマンドリンの制作が中心だったが、すでにギターも手がけていて、唯一公式なものとして残されている写真でロバート・ジョンソンが抱えているギターL-1は、その初期のモデルの一つであった。

 このあとニューヨークに向かった彼は、ニュージャージー州アズベリーパークやコニー・アイランドにも足を運び、新しい時代の風に触れている。前者はのちにブルース・スプリングスティーンの出発点として知られることになる土地、後者はルー・リードやトム・ウェイツらにも歌われた大規模なアミューズメント・パークだ。

 などと書いていくと、きりがない。荷風が旅したのは、ブルースやジャズという言葉が定着するよりも少し前であり、もちろん深読みはしないほうがいいが、読めば読むほど、探れば探るほど、である。拙文を読んでなにか閃くものを感じたという方、皆さんそれぞれの『あめりか物語』サウンドトラックを選曲してみるのも、一興かも。

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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