「あれ、女の人が営業に来るのか、珍しいなと。魚にもあまり詳しくないみたいだし、大丈夫かなと思いましたよね。それに漁に出てみないと、何が獲れるかわからない。こちらのほしい魚が必ずしも来るわけじゃない、というのが料理人としてはちょっと考えてしまいましたね」

 それでも魚の新鮮さや美味しさにひかれて、宮沢さんは取引を継続した。宮沢さんとの間はうまくいったケースといえよう。

 だが中にはせっかく取引を始めても、途中でやめてしまう相手もいた。とくにトラブルが多かったのは、顧客と漁師との間だった。

 当初は坪内さんが顧客先の開拓や受注、会計まで漁以外のことを全部やっていた。

「でもそれでは漁師たちが自立できません。私が一生萩大島船団丸にくっついていられるとは限らない。獲って終わりの漁業から、生産、加工、流通、販売まですべて自分たちでまかなう企業としての漁業を確立させなければ、彼らの未来はありません。だとしたら彼ら自身が営業も会計も覚えなければならないんです」

 坪内さんは少しずつ漁師たちに担当する顧客を振り分けていった。しかし注文を取るのは漁しか知らない荒くれ漁師たちである。客である飲食店とのけんかが耐えなかった。

「漁師は海の王様。料理長は板場の王様。要するに王様同士のケンカなんですよ。本当は漁師のほうが譲らないといけないんですが、客商売をしたことがない彼らにはそれがわからない。料理長から何か言われると、『俺が獲った魚に文句があるのか』とキレてしまいます。間に入った私が携帯電話を5台持ちして、あちこちのクレームに対応しました」

 これではいけない、と坪内さんは魚が使われている現場を漁師たちに見せることにした。数人ずつに分けて、漁師たちを大阪や東京の取引先に連れて行き、実際に自分たちが獲った魚がどのように扱われて、料理に変わり、お客さんに提供されるかを見せたのである。

 獲った魚の“その先”がイメージできたことで、彼らの魚に対する扱いも変わってきた。

 以前なら、鮮魚BOXの上に平気で足を乗せてタバコを吸ったり、魚が傷むのもかまわず、箱にどんどん放り込んでいた彼らが、ひとつひとつ魚を丁寧に並べて、品質に気を遣いながら箱詰めするように変わっていったのだ。

 どうやったら、魚をきれいに、新鮮な状態で届けられるか。一人一人が真剣に考え、魚の並べ方や氷のつめ方を工夫した。こうして「鮮魚BOX」は萩大島船団丸の看板商品として定着した。今では200件を超える直接の取引先がピチピチの天然魚が届くのを待っている。(文/辻由美子)