珍名踏切マニアがいく! 茅ヶ崎「異人館踏切」をめぐる2人の異人さんの謎を解く (3/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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珍名踏切マニアがいく! 茅ヶ崎「異人館踏切」をめぐる2人の異人さんの謎を解く

連載「珍名踏切が好き!」

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今尾恵介dot.#鉄道
東海道線の茅ケ崎駅南口。サザン通り商店街が浜へ伸びる

東海道線の茅ケ崎駅南口。サザン通り商店街が浜へ伸びる

北側から異人館踏切を望む。これがラチエン通り

北側から異人館踏切を望む。これがラチエン通り

ラチエン通りの標識。「ローマ字表記」がちょっと残念

ラチエン通りの標識。「ローマ字表記」がちょっと残念

今回紹介した踏切周辺の地図

今回紹介した踏切周辺の地図

 便利なもので、国土地理院のサイトで過去の空中写真が閲覧できるが、これで昭和21(1946)年2月15日に米軍が撮影したものを見ると、この一直線の通りの東側に、他とはケタ違いに大きな洋館があり、それを木立と塀(はっきり見える!)が取り巻いている。玄関先の車回しからして大きい。なるほど敷地を合計すれば5ヘクタールありそうだ。手持ちの昭和29(1954)年修正の2万5千分の1地形図「江ノ島」にもわざわざ塀の記号で囲まれた屋敷が描かれているから、まさに特別な屋敷であったことがわかる。

 ところが、実は踏切名になった異人館はこの屋敷ではなかったのだ。踏切から邸宅までだいぶ遠いのが引っかかっていたのだが、地域情報紙『タウンニュース』茅ヶ崎版の第31回「ラチエン通り」の記事の文末にはこの踏切のことが紹介されており、「異人館と呼ばれたボールデン(イギリス人)の屋敷が、現在のひばりが丘にあった」とある。ひばりが丘は踏切の南東側で、今では住宅が密集していて往時を偲ぶのは難しいが、『茅ヶ崎市史』を参考文献としているから信憑性は高そうだ。

 他のサイトによれば、ボールデンは平塚海軍火薬廠(火薬工場)の技師で、そのルーツは明治38(1905)年に英国のアームストロング、ノーベル、ヴィッカースの3社が設立した日本爆発物製造株式会社平塚製造所というから、ボールデンは3社の関係者だったのだろうか。いずれにせよ昭和に引っ越してきたラチエンさんよりだいぶ前の人だ。『角川日本地名大辞典』によれば、明治31(1898)年に茅ケ崎駅が開業してからは官僚や学者、軍人らの別荘の建設が進んだというから、ボールデンさんの「異人館」もその流れで建てられたのではないだろうか。ひょっとすると海軍の幹部が適地を紹介したのかもしれない。

 今では別荘地というより東京や横浜へ通うサラリーマンの街としての側面が強い茅ヶ崎だが、所々に残る松林や屋敷の佇まい、センスの良い小さな店の存在などが、異人館の踏切名とともに、かつての別荘地の空気を伝えている。


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今尾恵介

今尾恵介(いまお・けいすけ)/1959年神奈川県生まれ。地図研究家。明治大学文学部中退。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。音楽出版社勤務を経て、1991年より執筆業を開始。地図や地形図の著作を主に手がけるほか、地名や鉄道にも造詣が深い。主な著書に、『地図で読む戦争の時代』『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』(白水社)、『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)など多数。現在(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査

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