珍名踏切マニアがいく! 茅ヶ崎「異人館踏切」をめぐる2人の異人さんの謎を解く (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

珍名踏切マニアがいく! 茅ヶ崎「異人館踏切」をめぐる2人の異人さんの謎を解く

連載「珍名踏切が好き!」

このエントリーをはてなブックマークに追加
今尾恵介dot.#鉄道
東海道線の茅ケ崎駅南口。サザン通り商店街が浜へ伸びる

東海道線の茅ケ崎駅南口。サザン通り商店街が浜へ伸びる

北側から異人館踏切を望む。これがラチエン通り

北側から異人館踏切を望む。これがラチエン通り

ラチエン通りの標識。「ローマ字表記」がちょっと残念

ラチエン通りの標識。「ローマ字表記」がちょっと残念

今回紹介した踏切周辺の地図

今回紹介した踏切周辺の地図

<ラチエン通りは、国道1号から海に向かって烏帽子(えぼし)岩を正面に臨む真っ直ぐの道。昭和初期にドイツ人貿易商のルドルフ・ラチエンさんの広大な別荘があったことからこの名がつきました。かつて芥川賞作家の開高健さんが住み、通りをゆらゆらと楽しみながら歩いたと聞いています。サザンの桑田さんはラチエン通りを題材にした曲を作り、宇宙飛行士の野口さんも若かりし頃この道を歩きました。(後略)>

 解説に桑田さんと野口さんまで登場するのが何だか可笑しい。すぐ先の魚屋さんの店先で魚を捌いていた旦那さんに、ラチエン邸がどこにあったか聞いてみた。包丁の手を止めずに「どこって、そのあたり全部だよ。1万坪ぐらいあったっけ。俺が6歳の頃だから55年前、ここへ来たときには屋敷はあったね。通りに沿って立派な塀が続いていて、その上には細かいガラスがびっしり刺してあった」という。

 帰宅してネット検索してみると、広い豪邸を建てるだけあって辞書サイトの「Weblio」にも詳細に紹介されていた。要旨を記せば、ラチエンさんは明治35(1902)年に炭酸水販売会社員として来日し、奥さんは岡山県出身の日本人という。その後は東京の青山で「ラチエン商会」を立ち上げ、ベンツの自動車や刃物をはじめとするドイツ商品の輸入で成功した。青山の自宅の他に藤沢の鵠沼(くげぬま)に別荘を持っていたが、関東大震災で壊れたので茅ヶ崎に1万5千坪の土地を買ってここに再建したという。桜を好んで家の前を海岸に向かう道を桜並木にしたとあるが、これが現在のラチエン通りだ。

 1万5千坪といえば約5ヘクタールである。50坪の家でも300軒が建つ広大な敷地だから、魚屋さんがこのあたり全部と形容したのも納得だ。先ほどの公園などそのごく一部に過ぎないのだろう。ウィキペディアにも彼の名はあって、Rudolf Ratjenというスペルも判明した。ドイツ語の発音なら「ラーティエン」あたりが近い表記だろう。

 日本語ウィキの記述によれば、彼は日本で言えば明治14(1881)年の生まれ。来日時は弱冠21歳だから、あるいは親と一緒だったのかもしれない。敗戦直後の昭和22(1947)年に亡くなったということは、誕生日が過ぎていれば享年66。魚屋さんが子供の頃にここへ来た時にはすでに主人は没後で、奥さんだけが存命だったのだろうか。


トップにもどる dot.オリジナル記事一覧

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい