その高杉晋作を演じた中村雅俊さんは当時の事を次のように回想している。

「初めての時代劇がNHK大河ドラマだったので、台詞の言い回し、立ち居振る舞い、殺陣などほとんどが初めての経験でプレッシャーに押しつぶされそうにもなりました。しかし実際に撮影が始まってしまうと、とても仕事がやりやすい現場でした。物を作る意欲、気持ちがみなぎっている人たちが溢れていました。振り返ると本当に楽しい現場で、良い出会いをしたと思っています」

 また演じた高杉晋作については、「幕末の天才革命児という、偉大すぎる歴史上の人物。この人を演じることは容易ではないと覚悟しました。結果導き出した答えは、自分が高杉晋作だと思い込むこと。自分が思う表現は全て高杉もそうだったと信じて演じました」と語る。

 松村のように今でも「花神」のファンが多いのは、小説やテレビ、映画で取り上げられることが少ない大村益次郎を主軸にした長州の群像劇だからだ。それは大河ドラマ班の気骨ともいえるものだが、その大河について、中村さんは次のように語る。

「当時の大河ドラマは視聴者のニーズに合わせるというよりも、企画した人や周りのスタッフが自分たちの作りたいように作っていた信念のようなものがあったと思う。制作者が一生懸命作って、視聴者に胸を張って提供する。視聴率は気にしなかったような気がします。視聴率が一番大事になってしまってはダメだと思います」

 脚本を担当した大野靖子は以下のようなナレーションを書いたが、そこに大河全スタッフとキャストの想いが現れている。

「一人の男がいる。歴史が彼を必要とした時、忽然として現われ、その使命が終ると、大急ぎで去った。もし維新というものが正義であるとすれば、彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわる事であった。中国では花咲爺いの事を花神という。彼は、花神の仕事を背負ったのかもしれない。彼―村田蔵六。後の大村益次郎である」

(植草信和)

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植草信和

植草信和

植草信和(うえくさ・のぶかず)/1949年、千葉県市川市生まれ。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。

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