「難治がん」の記者 ネットコメントの裏にある不安やつらさを知りたい

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

人々はいま、どんなことに楽しさやつらさを感じ、何を大切にして日々過ごしているのだろう…(※イメージ写真)
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人々はいま、どんなことに楽しさやつら...

 働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。

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 週2回の訪問看護を除けば、人が自宅を訪ねてくる機会は多くない。寒くなり、病院以外への外出はいっそう減った。そんな私にとって、こうしたネットでコラムを書くことは社会に通じる窓だ。

 更新されるとまず、フェイスブックで知人にシェアする。次の原稿を用意するかたわら、体調が悪くなった時のために、先の分までせっせとスマートフォンで書きためる。届き始めた感想に目を通す。コラムを中心に1週間が回る。載るごとに寿命が1週間短くなる。

 ネット、SNS、メール。人に会わないぶん、感想を眺めるのが楽しみだ。

 笑ったのは「その石、拾うから!」という知人からのメールだ。読者に思いを届け、広がる様子を「小石を池に投じ、波紋が広がる」とたとえたことへの反応だが、石を拾われては波紋が広がらない。「拾わないでほしい」と冗談で返した。

「お互いに肩を貸しあおう!」という友人によるSNSでの呼びかけもあった。私はコラムを人に読んでもらい、自分の励みにする時の心境を「肩を借りる」と表現した。だから「貸しあおう!」では私の意図と違ってくるが、相手はスクラムを組み、支え合うという意味で言っているのだろう。そう考えると、肩を貸してもらっている気分になった。

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 もちろん、感想がどれも好意的とは限らない。

「朝日新聞は(このコラムを書いている記者は、という場合もある)安倍政権を倒すためにがんを利用している」「記事のねつ造によるストレスががんの原因だ」といった趣旨のコメントも匿名で寄せられる。

 ただ、多少悪意を感じたとしても、ダメージを受けることはない。思い出すのは、黒澤明の映画「生きる」のある場面だ。がんで死期が迫っている主人公は、公園建設を自分にとって最後の仕事と思い定めている。それを快く思わないやくざ者から「てめえ、命、惜しくねえのかよ!」とすごまれて、どうするか。ただ、にやりと笑い返すのだ。

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