松坂世代の「怪物スラッガー」も…プロで輝けなかった高校野球のスターたち【野手編】 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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松坂世代の「怪物スラッガー」も…プロで輝けなかった高校野球のスターたち【野手編】

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右中間に3点本塁打を放つ古木克明(横浜時代)=2005年撮影 (c)朝日新聞社

右中間に3点本塁打を放つ古木克明(横浜時代)=2005年撮影 (c)朝日新聞社

右翼ラッキーゾーンに先制2ランを打ち込む萩原誠(大阪桐蔭時代)=1991年撮影 (c)朝日新聞社

右翼ラッキーゾーンに先制2ランを打ち込む萩原誠(大阪桐蔭時代)=1991年撮影 (c)朝日新聞社

 そして、ミスタータイガース・掛布雅之の背番号31を与えられ、2軍では打点王、首位打者などに輝いたこともあったが、1軍ではチャンスを活かすことができずに1997年オフに近鉄にトレード。結局、プロでは10年間で出場124試合、4本塁打に終わった。2002年からは社会人・日本IBM野洲に所属したが、翌年のチーム活動休止とともに現役引退。現在は大阪で整骨院を営んでいる。

 3年時に春夏連続甲子園出場し、センバツでは準優勝を果たした澤井良輔(銚子商)もプロでは芽が出なかった。強打の内野手として、高校時代には同学年の福留孝介との比較で「西の福留・東の澤井」と言われ、福留の外れ1位でロッテに入団。プロ5年目の2000年に1軍初安打を放ち、2002年には開幕スタメンに名を連ねたが、翌年に右肩を故障して2005年にプロ通算90試合で打率.225、6本塁打で退団。以降、社会人クラブチームでプレーし、BCリーグ・群馬のコーチを務めた後、現在は保険会社に勤務しているという。

 その澤井よりも3学年下、いわゆる“松坂世代”のスラッガーと言えば、古木克明(豊田大谷)だった。


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