そこで、リストの理論と生涯を通じて、自由貿易論というイデオロギーが、なぜかくも強力であるのかを明らかにしようと思い立った。こうしてできたのが、本書『経済と国民――フリードリヒ・リストに学ぶ』である。

 最後に、本書の執筆にあたっての基本的な姿勢について、述べておきたい。

 リスト自身は、彼の執筆の動機について、「わたしの本のなかに多くの新しいものや真実のものや、またわたしの祖国ドイツに特別に役立つはずのいくつかのことが見いだされるかもしれないという考えだけが、わたしを力づけているのだ」と述べた上で、こう続けている。「わたしがしばしば、おそらくはあまりに無てっぽうにまたはっきりと、個々の著者や学派全体の見解と業績とに対して断罪の宣告を下したのは、おもにこの意識にもとづくものである。このことはけっして個人的な自負によるものではなく、いつも、本書が非難をしている見解は社会のために有害であって、このような場合に有効に行動するためには自分の反対意見を直截に力を尽くして表明しなければならないという、確信によるものであった」

 特定の論者を厳しく批判することは、たとえそれが正当な内容であったとしても、単なる人格攻撃と受け取られ、反発を招くことが多い。主流派の見解や学界の権威を批判するような場合には、特にそうである。

 それにもかかわらず、リストは、さらに力を込めて、こう言うのだ。「有名な、権威を得ている著者たちは、その誤謬によって、とるにたらぬ著者たちよりも比較にならないほど多くの害をあたえるのだから、それだけにまたいっそう力をつくして彼らに反論しなければならない。わたしが自分の批判を、もっとほどよい、温和な、つつましい、たくさん制限をつけた、右にも左にもお世辞をふりまいたいいまわしで行ったとすれば、それがわたしの人柄をずっとよく思わせるだろうということは、十分に心得ている。わたしはまた、裁く者はこんどは裁かれるということも心得ている。だが、それがどうしたというのだ」

 これは、わたし自身の心構えでもある。(評論家・中野剛志)

 *中野剛志著『経済と国民――フリードリヒ・リストに学ぶ』(朝日新書)は朝日新聞出版から発売中