リストの『政治経済学の国民的体系』を読んだのは、それから間もない頃であったと思う。この一冊の本から、わたしは今でも忘れられないほどの大きな衝撃を受けた。

 その衝撃のひとつは、わたしが目指した実践的な理論がそこにあったことから来た。

 リストは自由貿易論を批判した理論家として知られているが、専業の研究者ではなかった。彼は、祖国の国民統合のために身を投じた愛国者であり、鉄道事業に参画した実業家であり、ジャーナリストでもあった。

 リストも、我が身を振り返って「講壇のための体系の建設にたずさわることよりも国民国家の建設にたずさわることのほうが、たとえそれが下働きの仕事にしかすぎなくとも、いっそう重要で名誉な仕事だという考え」をもち、「有効な理論を持たずに一貫した実践に到達するなどということは考えられない」という信念を有していたと述べている。

 そして、わたしも、実際に『政治経済学の国民的体系』を読んでみて、それがリストの豊かな実践経験から生成された理論であることを感受し、大いに共感したのである。

 さらに大きな衝撃は、リストの生涯から受けたものであった。

 リストは、その先見の明と愛国心、そして後のドイツの国民統合と経済発展への多大な貢献にもかかわらず、ドイツ国民による誤解や誹謗中傷に苦しみ、最後は自ら命を絶ったのである。その死は、「彼の祖国は感謝のしるしとして彼の手にピストルを握らせた」と評された悲劇であった。以来、このリストの最期が、わたしの頭から離れなくなってしまった。経済ナショナリズムの道を進み、有効な理論と一貫した実践を目指す者の運命を暗示するように思えたからである。

 だが、多感な若者というものは、ときどき子供じみたロマンティシズムにかられて、歴史上の偉人と自分とを引き比べるような僭越を平気でやる。当時のわたしも、リストのように、誤解や誹謗中傷にさらされながら、不当に低く評価された生涯を是非とも送りたいものだと夢想した。もっとも、自殺する気など毛頭なかったが。

 それからおよそ二十年。

 リストの闘争に比べれば子供の遊びのようで恥ずかしいが、経済自由主義とりわけ自由貿易論を批判し続けたおかげで、世間の誤解や誹謗中傷を経験したいという若き日の願いも少しは叶った。リストが闘いを挑んだ敵の強大さを経験することもできた。何がリストを自殺に追い込んだのかも分かってきた。

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