シングルマザーの坪内知佳さん(撮影/写真部・馬場岳人)
シングルマザーの坪内知佳さん(撮影/写真部・馬場岳人)
坪内さんは、漁師ととことん同じ立場に立つべく、ジャージ姿で漁船にも乗り込んだ(撮影/写真部・馬場岳人)
坪内さんは、漁師ととことん同じ立場に立つべく、ジャージ姿で漁船にも乗り込んだ(撮影/写真部・馬場岳人)

 結婚を機に地方に移住したシングルマザーが、ひょんなことから漁師の社長になった。よそ者が厳しい漁師の世界に入っていくには、数多くの壁があった……。事業を成功させるまでを綴った著書『荒くれ漁師をたばねる力』でも明かした、漁師の懐に入り込むための作戦を紹介する。

【ジャージ姿で漁船にも乗り込む坪内さん】

*  *  *

 萩市のはずれにある萩漁港の防波堤は、冬になると日本海から冷たい北風が吹きつける。7年前、この防波堤で小さい男の子をつれた若い母親が海に釣り糸をたれていた。

 通りがかった漁師がけげんそうに親子に声をかける。

「あんたら、何しよるん。こんなとこじゃ、魚おらんけぇ」
「そうなんですか? よそ者なのでよくわからないんです」

 よそ者には排他的といわれる漁師だが、子づれの母親には警戒心が薄れるのだろう。漁師は彼女に気さくに話しかけ、会話は自然に盛り上がっていった。そして自慢の漁師メシを彼女にふるまった。

 母親の名前は坪内知佳さん。魚がとれない場所でわざとつり糸をたれていたのは、地元の漁師と会話の糸口をつかむために坪内さんが始めた作戦だった。

 坪内さんが山口県萩市にやってきたのは20歳のときだった。自分の人生を見つめなおすために大学を中退し、その後萩市に住む男性と結婚。萩に移住し、一人息子にも恵まれたが、その後離婚した。

「福井県にある実家からと戻ってこい、と言われました。でも私も息子も、豊かな自然と海に囲まれたこの町が大好きなんです。この海と空さえあれば何もいらないと思えた。萩をふるさとに生きていこうと決意しました」

 しかし地縁がないこの町で子どもを抱えたシングルマザーが生きていくのは容易ではなかった。坪内さんは得意の英語を生かして、翻訳や企画、コンサルタントなどの仕事を細々と始めていた。

 そのとき、出会ったのが萩大島で巻き網船団の船団長をしていた長岡秀洋さんだった。

「萩では年々魚が獲れなくなって、萩大島の連中はみんな不安を抱えていました。だけど何をどうしていいのかわからない。彼女はコンサルもしていたので、軽い気持ちで『協力してくれ』と頼んだのが彼女と一緒に事業を始めるきっかけでしたね」

 長岡さんが所属する船団など3つの船団が集まって萩大島船団丸を結成。パソコンが使えて、事業計画書がつくれる坪内さんが便宜的に代表を務めることになった。

「収入につながる仕事を何か考えてくれればいい」と長岡さんたちは気軽に考えていた。だが、坪内さんは本気だった。萩大島の自然と美味しい天然魚、そして漁師たちのピュアな思いに限りないロマンと未来の可能性を感じていたからだ。

 新しい事業を始めるにあたっては、萩の漁業が置かれている現状や課題を洗い出す必要があった。だが、坪内さんは漁業や漁師とは縁もゆかりもない門外漢である。その上に萩の出身者ですらない。

「完全アウェイのシングルマザーに、漁師たちが心を開いてくれるわけがありません。何とか彼らと会話の糸口がほしい、と必死に考えたのが、“魚のいないところでつりをする”作戦だったんです」

 ほかにも漁師たちの懐に飛び込むために、坪内さんはさまざまな努力をしている。漁師をとりまとめる漁協にしょっちゅう話を聞きに行き、顔なじみになったり、漁村の豊漁祈願祭にも「お酌くらいするけえ」と乗り込んで行ったこともある。

 また、萩大島船団丸の漁師たちともコミュニケーションをとるために、島言葉を覚えて積極的に会話に飛び込んだ。今までさわったことさえない魚でも、うろこまみれになりながら漁師たちの仕事を手伝った。
はじめはほとんど聞き分けられなかった島言葉を、彼女は今見事に使いこなし、漁師たちと日々熱い議論を交わしている。

「彼らと同じ夢を見るためには、とことん同じ立場に立たないといけないと思ったんです。それが私が最初に課したことでした」

 家族や福井の友人たちからは、びっくりするほど荒々しくなったと驚かれるという。だが、それは坪内さんにとってはほめ言葉だった。

 こうして彼女は漁師たちの言葉に耳を傾け、漁業の問題点を洗い出し、漁協や漁師たちとの議論をへて、新しい事業をスタートさせた。

 漁師が獲った魚を、漁協や市場を通さず自ら消費者向けに直出荷する「鮮魚BOX」の事業だ。2011年7月21日、記念すべき「鮮魚BOX」の第一陣が、宅急便のトラックに運び込まれ、東京に向けて出発した。

 よそ者のシングルマザーが萩大島の漁業に新しい一歩を築いた瞬間だった。(文/辻由美子)