久保建英は再び世界の舞台に挑む(写真:getty Images)
久保建英は再び世界の舞台に挑む(写真:getty Images)

 現地時間10月6日、U-17(17歳以下)ワールドカップがインドで開幕した。ワールドカップと言えば、4年に1度開催される、ハリルジャパンが出場を決めたA代表が集う大会を真っ先に想像すると思うが、サッカー男子の世界にはそれ以外にも3つのワールドカップがある。

 クラブワールドカップ、U-20ワールドカップ、そしてU-17ワールドカップだ。今大会、森山佳郎監督率いるU-17日本代表は2大会ぶりに出場を果たした。今回のチームは2000年1月1日生まれ以降の選手で形成されるため、『00ジャパン』と称されているが、ここに世間の注目を一身に浴びる16歳がいる。

 久保建英。川崎市に生まれたサッカー少年は、2011年8月にスペインの超強豪クラブであるバルセロナの下部組織(カンテラ)の入団テストに合格。数多くの名手を輩出したバルセロナのカンテラですぐに頭角を現すと、「スペインに天才日本人少年がいる」と日本でも大きく話題となった。

 バルセロナの18歳未満の外国人選手獲得・登録違反が発覚し、2015年3月に無念の帰国となってしまったが、FC東京U-15に加わると、バルサ仕込みの圧巻のボールコントロールと変化に富んだドリブルを駆使し、その才能を存分に発揮。「久保君」として、サッカー界大注目の存在となっていった。

 彼は昨年、今回のU-17ワールドカップのアジア最終予選にあたるAFC・U-16選手権に出場をすると、インドの劣悪なピッチをものともせず、得意の変幻自在なドリブルで何人も相手を抜き去り、ラストパスやシュートでチームの攻撃を牽引。大会途中で負傷し、ベストなコンディションでフルに戦うことができなかったものの、それでも4得点を挙げ、大会得点ランキング2位に輝いた。

 帰国後も彼は次々と記録を塗り替え、今年5月には15歳にしてU-20ワールドカップを戦うU-20日本代表のメンバーに堂々と名を連ねた。チーム最年少の彼は、最初こそ遠慮が見られたものの、日を追うごとに堂々たるプレーを見せるようになり、歳上のプロ選手たちに対してしっかりと要求し、持ち味であるドリブルとパスで攻撃の一角として存在感を発揮できるようにもなった。

「最初は『何で俺なんだろう?』と思っていたけど、日本代表として戦う以上、『もうやるしかない』と思った」

 U-20ワールドカップでは全4試合中、出場した3試合すべてで途中出場だったが、初戦の南アフリカ戦では鮮やかなラストパスを通し、現在オランダ1部リーグのフローニンゲンで活躍するMF堂安律の決勝弾をアシストした。

「タケ(久保)は僕の動きを見逃すことなく(パスを)出してくれる選手なので、『絶対にパスをくれる』と信じて走り込めた。その他のプレーもさすがだなと思って見ていた」。久保は大会後に海外組になった堂安が舌を巻くほど、ハイクオリティーなプレーを披露していた。

 彼を取材していて感じるのは、大人びた立ち振る舞いだ。決勝ラウンド16のベネズエラ戦で0-0で迎えた63分に投入され、延長戦まで戦い抜いて敗れた直後、久保はこういう話をしていた。

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