鈴木:そこから22歳で仕事を辞めましたよね。

HI:3カ月続けてYouTubeだけでメシを食えるだけの収入が入ってきたことがきっかけで決断しました。上京の時から、ビートボックスで会社員の給料より稼げるようになって、仕事を辞めることを目標にしていましたので。

鈴木:僕も21で大学を辞めたんですけど、放送作家で毎月30万円稼げるようになったら辞めようと考えていた。それが3年間で実現できたので、退学することを親に伝えました。「東京で自分で生活できそうだ」という基準は僕にもありましたね。

HI:その頃、YouTubeで生活している人は一人か二人ぐらいで、周囲からは「よく辞めたね」と言われました。でも、僕には漠然とした自信がありました。

鈴木:辞めてからあっという間にエアロスミスのライブに参加することになりましたよね。

HI:24歳の時です。たまたまシンガポールにYouTuberが集まるイベントがあって、日本代表として呼ばれたんです。同じ時期にYouTube主催の野外イベントがあり、そこにエアロスミスが参加していた。それで、YouTubeの関係者が、僕の動画をエアロスミスのメンバーに見せたらしいんです。そしたら「こいつ、明日呼べよ!」みたいな話になって。こっちは突然呼ばれてビックリ。ライブで失敗してたらヤバかった。あれは人生の転機でした。あとは「スマスマ」(フジテレビ系番組『SMAP×SMAP』)ですね……。

鈴木:あれ、僕がスタッフにお願いしたんですよ(笑)。

HI:失敗したら、一家崩壊するんじゃないかというぐらいの緊張でした。

鈴木:スマスマのスタッフって、海外アーティストが好きな人が多かったんです。それでHIKAKINさんがアリアナ・グランデと共演した動画を見せた。そしたらみんなが「スゲー」ってなって。

HI:スマスマでは3分半ぐらいの共演で、ダンスの演奏は僕のビートボックスのみ。失敗したら5人が踊り直しなので、緊張度は人生最大だったかもしれません。口の中がカッサカサでした(笑)。でも、反応はすごかったです。その夜が、僕の人生でもっとも「HIKAKIN」の検索があった日でした。

(AERA dot.編集部・西岡千史)