そのように「親」になりつつある私だが、子どもへの妻の丁寧な接し方や語り方を見ていると、私自身の接し方の粗雑さや語りかける語彙の乏しさに情けない気持ちになる。だからその分、育児では(母乳授乳以外はミルク授乳やウンチのオムツ替えも含めてすべて分担しているが)腕力のいる抱っこをできるだけ多めに担い、家事では不得意な料理以外のすべては基本的に私が担うように心がけている。

 しかし実際は、抱っこでのあやし方が下手だったり、料理以外の家事も(できるだけ機械化しているものの)私の手が回らないときは妻がせざるをえなかったりで、結局、育児も家事も、私よりも妻に大きな負担がかかってしまっている。

 仕事については、妻も私もフルタイム(今はともに育休中)で大変さは同じなので、育児家事についても平等に分担するのが理想なのだが、実際は難しい。育休を取っていてもこうなのだから、もし育休を取っていなかったらますます分担は不平等になっていただろう。夫婦関係も悪化していたかもしれない。

 また、我が家は「夫婦二人だけでの双子育児」なので、なおさら大変ということもある。「食事を最後まで座って食べられたら奇跡的」「夜間も交代制で育児をするので慢性的に睡眠不足」「一人を抱っこすればもう一人が泣くので抱っこ続きで腰痛」と説明すれば、なんとなく分かっていただけるだろうか。

 私が用事で外出せざるをえないときには、ベビーシッターや遠方の親族に助けてもらっているが、やはりいろいろと制約があり頻繁には頼れない。結局は(保育所に通わせるまでは)主に夫婦二人だけで育児をするしかないのが実情なのだ。

 ただ、育児が苦労だらけなのかというと、もちろんそんなことはない。最大の喜びは、子どもとのつながりが深まり、妻とも新たな苦楽を共にすることでつながりが深まることだ。

 抱っこする腕のなかで安心して寝てくれたり、顔を覗き込むと微笑みかけてくれたりすると、親として認めてもらえた気持ちになれる。自分の至らなさに毎日直面しながらも、このような喜びを経験することで、私は「この子の親だ」という実感をもつことができるようになってきている。

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