人生は選択の連続であるわけだが、長谷部もまた節目節目で究極の選択を迫られ、決断を繰り返してきた。

 最初の大きな選択は、藤枝東高校から大学進学か浦和レッズ入団を選ぶとき。続いては、レッズを出てイタリアのチームに行くか、残留するかの選択。これは、イタリア行きを切望する長谷部に対し、「アジアチャンピオンズリーグ」の戦いがかかっていた浦和が引き留め、諦めざるを得ない。結局、長谷部は、1年後の2008年、ドイツのヴォルフスブルクに移籍し、人生の新たなページを開くことを決断する。

 長谷部は、いま、こう振り返る。

「浦和に6年間在籍して、そこにいる幸せというのもすごく感じたんですけど、やっぱり環境を変えてさらに違う自分を見たいなと思った。もしイタリアへ行っていたら、どういう人生を歩んでいたかは、よくも悪くもわからない。本当に運命だと思いますね。僕は、運と運命は違うと思っていて、運命には言葉のとおり命が宿ると思っているんです。運というのは、そのときのツキとか、自分の力とは違う何かが働く。でも、運命は、自分自身でどうにか変えられる。
そういう意味で、僕は結果的にドイツに来てよかったと思っているし、自分が引き寄せたものだと思っています。ドイツに来たことで、サッカーだけじゃなくて、ひとりの人間としてすごく大きく変われたなというのはあります」

 ヴォルフスブルクに入団した長谷部は、自身の運命をさらに高みへと導いていく。チームに早くなじむため、チームメイトとは積極的に食事に出かけコミュニケーションを取った。ボランチ、右サイドバック、右サイドハーフと異なるポジションをこなしながら、長谷部はすぐにチームにとって欠かせない選手になっていく。その間、チームを初優勝に導き、UEFAチャンピオンズリーグにも出場、これ以上はないというぐらいの経験を積んでいったのだ。

 が、順風の日々はいつまでも続かない。

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