(画像提供:avex)
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安室奈美恵がデビュー前に通ったアクターズスクールの建物。現在はゲストハウスになっている=那覇市泊(撮影/與那覇里子)
安室奈美恵がデビュー前に通ったアクターズスクールの建物。現在はゲストハウスになっている=那覇市泊(撮影/與那覇里子)

 来年9月16日の引退を電撃発表した歌手・安室奈美恵(40)。彼女が変えたのはヒットチャートと「アムラー」と称されたファッションだけじゃない。同じ沖縄で生まれ育ち、新聞記者として地元を取材してきた與那覇里子さん(34)から見た、安室奈美恵の偉大な足跡とは。

【写真】デビュー前の安室奈美恵が通いつめた場所はいま

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 安室ちゃんを初めて見たのは、1994年。私は小学5年生だった。子ども向けテレビ番組「ポンキッキーズ」にうさぎの着ぐるみ姿で出演していた。

 スーパースターではなかったし、アーティストでもなかった。まだアイドルの卵のような初々しさ。友達の間で話題になることもなかった。

 当時、沖縄で安室姓と言えば養鶏大手の「安室養鶏場」か、伝統菓子「安室のサーターアンダギー」ぐらいだった。

 芸能界で活躍する沖縄出身者は今でこそ多くいるけれど、あの頃はそうではなかった。小学生の私は具志堅用高しか知らなかったし、南沙織の名前は聞いたことはあっても顔は分からない。芸能界を目指すことに関して沖縄には冷たい空気があることを感じていた。安室ちゃんを追ったテレビのドキュメンタリー番組で同級生たちが「成功するはずない。沖縄にすぐ帰ってくるよ」「沖縄の人は売れない」と話していたのが忘れられない。

 その背景は、沖縄の翻弄された歴史にあると思う。特に戦後は米国の統治下に置かれ、本土復帰の1972年までドルを使っていたし、1978年まで車は右側通行だった。私の母は63歳だが、20代の頃に本土に行くと「英語を話せるの?」と聞かれ、友人の中には標準語の壁を乗り越えられず、沖縄に帰ってくる人もいたという。あの頃、沖縄県民にとって「沖縄の高校の甲子園優勝が先か、沖縄選出の総理大臣が先か」が最大の関心事だったという。その言葉は本土で成功するのはずっと遠い話だったことを表しているように思う。

 私もご多分にもれず、「売れるのってやっぱり厳しいよなー」なんてことを思いながらテレビを見ていたら、「TRY ME」がヒットしていることを知った。沖縄出身の人が売れている! 小学6年の私は正直、信じられなかった。しかも安室ちゃんの出身中学は私の自宅から歩いて15分ほどの距離。この地元感。近所のパン屋に安室ちゃんも行っていたのかもしれないと考えると、パンもただのパンに見えなくなったほど興奮した。

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