2000本安打を達成した阪神・鳥谷 (c)朝日新聞社
2000本安打を達成した阪神・鳥谷 (c)朝日新聞社

 阪神の鳥谷敬が9月8日のDeNA戦(甲子園)の2回1死1塁から井納翔一のフォークを捉えて右中間を破るタイムリー2塁打。今季の安打数を128本とし、史上50人目の通算2000安打を達成した。

 鳥谷は「たくさんのファンの前で2000本目が打ててよかったと思います」と笑みを見せるとともに、「これで周りが静かになると思うんで、これから楽に野球ができると思います」と本拠地ファンの笑いを誘った。

 36歳 2カ月で通算1956試合目での偉業達成。阪神の選手としては、山内一弘(1967年:35歳 5カ月/1922試合)、藤田平(1983年:35歳 6カ月/1875試合)、金本知憲(2008年:40歳 0カ月/1911試合)に続く4人目(福留孝介は日米通算のため除外)。阪神の生え抜きとしては藤田平以来の2人目となり、阪神所属選手の甲子園での達成は史上初である。

 鳥谷は、1981年6月26日に東京都東村山市生まれた。3兄弟の長男として育ち、埼玉の聖望学園高3年夏に甲子園出場を果たす。その後、早大に進学し、2年春に3冠王、4年秋に2度目の首位打者を獲得。ベストナインには通算5度選ばれ、青木宣親(現メッツ)らとともに、早大のリーグ4連覇に貢献した。そして2003年のドラフト自由獲得枠で阪神に入団した。

 驚くべきは、その継続性と強靭さ。2004年、岡田彰布監督の下で開幕戦に「7番・ショート」でスタメン出場を果たしてプロ初ヒットを記録すると、2年目の2005年からは阪神の不動の遊撃手として出場を続け、毎年150安打ペースを継続。鋭い選球眼で2011年には最高出塁率のタイトルを獲得したのをはじめ、安定したグラブさばきと球際の強さでゴールデングラブ賞4回、ベストナイン6回と球界を代表するショートストップとして不動の地位を築いた。

 その間、07年9月に死球を受けて肋骨骨折、10年5月には守備中に味方とぶつかって腰椎骨折、11年5月には右手人さし指を裂傷、15年は4月には右わき腹を痛め、6月には死球でまたも肋骨を骨折した。今年5月には顔面に死球を受けて鼻骨を骨折したが、連続試合出場を続けて、フェイスガードを付けながらでもヒットを放ち続けた。

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