プロ野球記録となる47セーブを達成したサファテ(c)朝日新聞社
プロ野球記録となる47セーブを達成したサファテ(c)朝日新聞社

 福岡ソフトバンクのサファテが9月5日のオリックス戦で今季47セーブ目を記録し、岩瀬仁紀と藤川球児の持つシーズン最多セーブ記録を更新した。投手の分業化が確立され、試合の最後を締めくくる投手の形は年々変わっているが、過去には様々なタイプの抑え投手が存在した。

 サファテが更新するまで、最多記録を保持していた岩瀬と藤川は、同時期に中日阪神でしのぎを削ったセ・リーグを代表するストッパーだった。2人とも中継ぎで実績を積み上げた後、試合の最後を任される投手となり、絶対的な存在として君臨した。岩瀬は切れ味鋭いスライダー、藤川は球がホップすると錯覚するほどの伸びのあるストレートを決め球にしていた。

 1960年代までは、絶対的エースが、先発しない日にもベンチ入りし、終盤のピンチの場面で抑え役として登板するケースが当たり前だった。リリーフ専門の抑え役として、最初に脚光を浴びたのが「8時半の男」と呼ばれた宮田征典(巨人)。心臓疾患を患い、長いイニングを投げられない宮田を活かすため、リリーフとして専念させた、当時の川上哲治監督の英断だった。

 セーブ数がタイトルになった1974年に、セ・リーグの初代セーブ王に輝いたのが星野仙一(中日)。先発とリリーフの兼任で49試合に登板して15勝9敗10セーブを記録し、チームは巨人のV10を阻止してリーグ優勝。星野は沢村賞を獲得した。

 その翌年、球団史上初のリーグ優勝に輝いた広島相手の日本シリーズで、強烈なインパクトを残したのが山口高志(阪急)だ。シーズンでは先発を中心に12勝を挙げて新人王に輝いた山口は、日本シリーズで6試合中5試合に登板し、1勝2セーブでシリーズMVPに輝いた。その剛速球は、プロ野球史上最高と評する声もあるほど強烈なものだった。

 先発で球界を代表するエースとして君臨した後、現役後半には抑えとなり、206勝193セーブというとてつもない記録を残したのが江夏豊(阪神など)。南海時代に当時の野村克也監督から「革命を起こさないか」と言われてリリーフに転向し、広島に移籍後は日本シリーズ最終戦の「江夏の21球」で伝説を作った。

 病魔に侵されて短期間の活躍だったが、「炎のストッパー」と形容された津田恒実も忘れられない存在だ。三冠王を2度獲得したバースの全盛期にストレート一本で勝負し、最強助っ人に「ツダはクレイジーだ」と言わしめた。そのストレートをファウルした原辰徳が、衝撃で手首を骨折したエピソードも、強烈なインパクトを残した。

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