珍名踏切マニアがいく!「共栄館」踏切の謎を追ってたどり着いた“ある場所”

連載「珍名踏切が好き!」

駅舎が新しくなった北飯山駅。飯山高校北キャンパ... (11:30)dot.

駅舎が新しくなった北飯山駅。飯山高校北キャンパ... (11:30)dot.
 踏切の名称に惹かれて何十年の、いわば「踏切名称マニア」である今尾恵介さんが、全国の珍名踏切を案内してくれる連載。今回は飯山線の「共栄館」踏切を紹介します。

【地図や他の踏切写真はこちらから】

●飯山の街中で踏切名に残る共栄館とは?

 JR飯山線は、長野駅から信越本線改め「しなの鉄道北しなの線」で3つ目の豊野駅が起点となる。そこから千曲川・信濃川に沿って下り、戸狩野沢温泉、津南、十日町などを経て上越線の越後川口駅までの96.7キロを結ぶJR線だ。飯山へは普通列車で約45分の道のりだが、北陸新幹線が開業してわずか11分と革命的に短縮された。その代わり飯山駅も新幹線の開業に合わせて前年に南側へ移転。その次の北飯山駅から歩いて数分のところにあるのが、今回の目的地・共栄館踏切だ。

 建物の名称が詳しく載っている市街地図でもそういった名称の施設(?)は見当たらなかった。「かつて何が存在したのかをつきとめてみたい」。こんな時、地図研究家であり、珍名踏切マニアの血は騒ぐのだ。

 北飯山駅は旧市街の北にあり、最近になって新しい駅舎に建て替えられた。正面は下見板張りの壁と漆喰風の壁に黒い柱というハーフティンバー様式で落ち着いた佇まいである。駅のすぐ北側の踏切は「関の湯踏切」という名称だが、どんな由来なのだろうか。ひょっとして消えた銭湯の名前だろうかなどと想像は膨らむ一方だが、周囲に人がいないのでそのまま通り過ぎることに。

 飯山は上杉謙信の時代に城が築かれ、江戸期には本多氏2万石の城下町として発達した町である。千曲川に面しているため、その水運と越後高田(上越市)方面への陸路の結節点となり、明治に入ると下水内(しもみのち)郡役所も置かれ、地方の中心として発展していく。

 特筆すべきなのがスキー板の製造業で、オーストリアのレルヒ少佐で知られる第十三師団が山を越えた高田に置かれていた影響で、明治45(1912)年にはここ飯山に日本初となる小賀坂スキー製作所が設立された。創業者の小賀坂濱太郎は家具職人だったという。同社は今も長野市でスキー板、スノーボードの製造を続けている。

 北飯山駅から踏切を見ながら矩形街区をジグザグにたどると、田町(たまち)、弓町(ゆみちょう)と古くからの城下町を名乗る地名が踏切に採用されていて嬉しい。しかし、その次の共栄館踏切だけは、大きな縮尺で店の名前もわかるような詳しい市街地図にも載っていないため、謎めいている。

 実際に現地へ行ってみると、狭い幅で自動車は通れない幅員だ。警報機はあるが遮断機はないので「とまれ!右みて左みて」という飯山小学校PTAによる札が建てられている。西から東へ踏切を渡ってみると、田町区長の名で「通行止めのお知らせ」が掲示されていた。一部が剥がれかけているので読みにくいが、要するに冬期間は除雪のため通行止めとのことである。

 JR東日本に限らず、鉄道各社は安全面から踏切を減らそうと努めているが、地元住民の利便性との兼ね合いでなかなか廃止に「踏切」れない箇所が多い。あの足元が覚束なくなった爺さんを遠回りさせるのはしのびない。それに廃止が進むことで、踏切でない所を渡る「勝手踏切」が増えてさらに危険性が増してしまう。

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