その木俣の後継者と言われたのが中尾孝義(中日など)で、走攻守三拍子揃い、特に俊足でスマートないでたちは「捕手のイメージを変えた男」と言われた。活躍期間は短かったが、中日がリーグ優勝した82年にはリーグMVPに選ばれている。捕手でMVPと言えば、同年代の山倉和博(巨人)も忘れられない。22本塁打でリーグ優勝に貢献した87年には、巨人の捕手として初めてシーズンMVPに選出された。そして同時期のパ・リーグで、黄金時代を築いた西武で扇の要となったのが伊東勤。数字以上に勝負強い打撃に定評があったが、通算成績の1738安打、156本塁打は胸を張れる成績と言える。

 90年代に入ると野村以来、現れなかった名球会入り捕手が登場する。捕手として史上2人目の通算2000安打達成者となったのが、ヤクルトでその野村監督の秘蔵っ子だった古田敦也。プロ2年目の91年には、あの落合博満(ロッテ、中日など)との争いを制して打率.340で首位打者に輝くなど、8シーズンで打率3割以上(規定打席)をマークし、シーズンMVPに2度輝いている。「眼鏡をかけた捕手は大成しない」という球界の定説を覆し、大学(中退含む)、社会人を経ての通算2000安打は、落合に次ぐ史上2人目の快挙だった。

 古田と同時期に横浜、中日で通算2000安打を達成したのが谷繁元信。江の川高時代には、県予選の全5試合で7本塁打を放ったスラッガーだった谷繁は、プロでは打撃タイトルとは無縁だったが、兼任監督も含めたプロ27年間で通算3021試合出場と、野村超えのNPB歴代最高記録を樹立した。

 通算2000安打には達しなかったが、城島健司(ダイエー、マリナーズなど)は、MLBでレギュラーを張った唯一の日本人捕手だ。メジャー移籍前、ダイエー(現ソフトバンク)でキャリアハイの成績となった03年は打率.330、34本塁打、119打点をマークしたが、ハイレベルな打撃争いの年でタイトルには届かなかった。ワールド・ベースボール・クラシックで日本代表の4番打者を任されたこともある強打に、その強肩ぶりなども含めて、史上最強捕手の声もある。

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