ただし、今回の日報の件では、大臣が完全に安心できるような対応策をとることは不可能である。しかし、そういう時でも、「どうしようもありません。ここは素直に責任を認めましょう」などと言ったら、これも出世の道を閉ざす対応だ。

 そんなときは、いざというときには大臣が庇ってくれる、あるいは、その後の面倒を見てくれることを期待しながら、阿吽の呼吸で、官僚がリスクを取って隠ぺいを続けるのだ。

 今回も稲田氏には、「物理的には存在しましたが、これは行政文書ではないという解釈もできます。つまり、文書は存在しなかったということで対応します。大臣にはご迷惑をかけません」というような報告をした可能性が高い。

 この報告内容であれば、稲田氏は「文書があるという報告を受けた認識はありません」とかろうじて言える。また、元々文書はないのであるから、その隠ぺいを指示することは不可能だし、黙認もするはずがないという理屈が成り立つ。

 もちろん、そんな説明は世間には通用しないが、稲田氏から見れば、報告を受けていないと言い張ればよいという選択肢を与えてもらったということになったのだ。きっと、「ほっとした」というのが正直なところかもしれない。

●阿吽の呼吸が成立しなかったワケ

 しかし、上述した稲田氏と陸自・防衛省内局の取引成立というのは、厳密に言うと、陸自側の希望的な解釈に過ぎなかったようだ。

 その気持ちは稲田氏には通じていなかったのではないか。稲田氏の思いは、「陸自がこんなドジを踏んで、とんでもない迷惑だ。これまでもいつも足を引っ張られてきた。自分たちで後始末をするのは当然ではないか。私を巻き込むなんてとんでもない」というものだった可能性がある。

 つまり、陸自が想定した「阿吽の呼吸」は稲田氏には通用しなかったのだ。その「呼吸の乱れ」が致命傷となって、特別監察報告書のとりまとめの段階で露呈することになったということだろう。

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