珍名踏切マニアが歩く! 「旭ガラス踏切」に「日石踏切」鶴見線沿線に会社名踏切が多い理由 (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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珍名踏切マニアが歩く! 「旭ガラス踏切」に「日石踏切」鶴見線沿線に会社名踏切が多い理由

連載「珍名踏切が好き!」

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横浜市の鶴見駅と京浜工業地帯の各地を結ぶ鶴見線の電車。国道駅にて

横浜市の鶴見駅と京浜工業地帯の各地を結ぶ鶴見線の電車。国道駅にて

旭ガラス踏切。会社名の旭硝子とは表記が異なるが、いずれにせよ渡れば同社の正門を入る

旭ガラス踏切。会社名の旭硝子とは表記が異なるが、いずれにせよ渡れば同社の正門を入る

今回紹介した踏切周辺の地図

今回紹介した踏切周辺の地図

 安善駅からは構内側線が南下している。その先に、かつては浜安善という貨物駅が存在したが、昭和61(1986)年に廃駅となり、線路だけが残った。付近には米軍の油槽所があって、横田基地のジェット燃料などを今でもここから運んでいる。訪れた時も安善駅の側線には青緑色のタンク車が11両ほど繋いだ列車が停まっていた。米軍油槽所の東隣は今も昭和シェル石油だから、安善駅の少し先の運河を渡った先は「石油島」と呼びたくなるほど石油関連施設に満ちている。

 この構内側線は国有化以前の鶴見臨港鉄道時代には「石油支線」と呼ばれ、浜安善駅も「石油駅」と称していた。旅客列車も昭和5(1930)年から同13年までの8年間ながら走っていたので、「次は~石油、石油、終点でございます」なんていうアナウンスが毎日繰り返されていたのだろう。

 解せないのは、米軍油槽所のゲートのまん前が「日石踏切」であったこと。よく見るとNAVSUP(横須賀米海軍補給センター)の小さな看板が掛かっている。横浜市基地対策課のHPによれば、この「鶴見貯油施設」は昭和27(1952)年11月21日に「民間の石油会社の施設が米軍に提供された」となっている。

 手元にあった同23年修正の1万分の1地形図「安善町」を確認すると、エリアI(南側)が「日本石油会社製油場」、エリアII(北側)が「日本石油会社貯油所」になっていた。エリアIIにある「日石踏切」は、昭和27年までの施設を名乗り続けているのだが、「提供」時期はまさに朝鮮戦争の最中なので、その戦況と深く関係しているのかもしれない。

 貨物支線や専用線が何を運ぶかは、時代背景によって当然ながら変わっていく。ここ「石油島」の貨物はもちろん石油が中心であるが、戦勝国アメリカが日本を武装解除してわずか数年で国際情勢は変わり、今度は日本を「防共の砦」として活用していく戦略に転換が行われた。踏切もそれに翻弄されながら、その名前が変わらなかった理由は、「朝鮮戦争中にとりあえず貸しただけ」だったからなのか。

今尾恵介(いまお・けいすけ)
1959年神奈川県生まれ。地図研究家。明治大学文学部中退。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。音楽出版社勤務を経て、1991年より執筆業を開始。地図や地形図の著作を主に手がけるほか、地名や鉄道にも造詣が深い。主な著書に、『地図で読む戦争の時代』『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』(白水社)、『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)など多数。現在(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査


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今尾恵介

今尾恵介(いまお・けいすけ)/1959年神奈川県生まれ。地図研究家。明治大学文学部中退。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。音楽出版社勤務を経て、1991年より執筆業を開始。地図や地形図の著作を主に手がけるほか、地名や鉄道にも造詣が深い。主な著書に、『地図で読む戦争の時代』『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』(白水社)、『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)など多数。現在(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査

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