オリックス時代のイチローはバットだけはなく、守備でもチームの優勝に貢献した=1995年撮影(c)朝日新聞社
オリックス時代のイチローはバットだけはなく、守備でもチームの優勝に貢献した=1995年撮影(c)朝日新聞社

 マーリンズのイチローが、6月29日にブレーブスを戦力外となったバートロ・コローンに代わり、この時点でMLBの現役最年長プレーヤーになった。昨年はアジア人で初めてMLB通算3000本安打を記録するなど、希代のヒットメーカーとして名高いイチローだが、もうひとつの代名詞とも言えるのが、外野手としての送球、いわゆる「レーザービーム」と呼ばれる強肩だ。オリックス時代には、田口壮や本西厚博、谷佳知らと堅守、強肩の面々が揃った「最強外野陣」を形成した。矢のような送球で、クロスプレーを演出する強肩の外野手は野球の醍醐味のひとつだ。今回は、歴代の強肩外野手を紐解いてみる。

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 プロ野球創成期に阪神で活躍した景浦将は「職業野球は沢村(栄治)が投げ、景浦が打って始まった」と言われるほどの強打者だったが、その強肩から投手や三塁手、一塁手も兼任する外野手で、遠投144メートルを記録したという逸話も持つ。

 V9時代の巨人には高田繁がいた。明治大学時代から俊足強肩の外野手として評判だった高田は三塁線やレフト線の打球処理が速く、正確な送球で二塁への進塁を許さない守備力で「壁際の魔術師」と呼ばれた。

 今季、セ・リーグ連覇を目指す広島だが、前回連覇した79、80年には山本浩二とジム・ライトルという強肩外野手がいた。ともに打者としてもクリーンアップの一角として活躍したが、入団当時の山本はむしろ守備で評価された選手で、「ピッチャーの投球のような軌道で本塁まで到達した」との証言もある。80年には、開幕戦の本塁送球でチームの窮地を救ったマイク・デュプリーを含めた陣容は、「鉄壁の外野陣」と言われた。

 80年代に入ると、黄金時代を築いた西武に秋山幸二が登場した。高校時代は投手だった秋山は、強肩だけでなく「オリンピックの十種競技の選手になれた」と言われるほどの高い身体能力で、メジャーに一番近い男と評された。同時期の西武で強肩外野手といえば、忘れてはならないのが羽生田忠克だ。ライトの定位置から本塁や三塁へ、低い軌道でのダイレクト返球は、いまだに「強肩といえば羽生田」と言われるほど、強烈なインパクトを残した。

 90年代に入り、両翼100メートル級の球場が主流になると、外野手の肩がよりクローズアップされることになった。その強肩ぶりで、日本だけでなくMLBでも評価されたのが新庄剛志だ。その破天荒な言動や奇抜なファッションなどで「記録より記憶に残る選手」とも言われる新庄だが、外野守備は誰もが認める一級品で、MLB時代にはテレビ実況で「ロケットアーム」と称された強肩は見所のひとつだった。

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