【1990年代】“リトル松井”の1試合4盗塁

 足で魅せた。1997年7月23日の球宴第1戦(大阪ドーム)。高卒4年目の松井稼頭央(西武)がファン投票で選出されてオールスター初出場を果たすと、大舞台で類まれな能力を存分に見せ付けた。

 1番・イチローの後の「2番・ショート」でスタメン出場。3回の第2打席でレフト前ヒットで出塁すると、当時12球団ナンバー1の盗塁阻止率を誇っていた捕手・古田敦也(ヤクルト)から二盗、三盗と立て続けに成功。続く5回の第3打席ではセンター前ヒットで出塁すると、二盗、さらに積極果敢に三盗もあっさりと成功させて1試合4盗塁の球宴新記録を達成した。

 圧倒的なスピードに「まいった。完全にやられた」と脱帽の古田。松井は続く6回の第4打席でもレフト前ヒットを放って猛打賞もマークして全パを勝利に導きMVPを受賞。21歳。新たなニュースター誕生の瞬間だった。

【2000年代】SHINJOのホームスチール

 まさに新庄劇場だった。2004年7月11日に行われた球宴第2戦(長野)、メジャーから復帰初年度の新庄剛志(日本ハム※当時の登録名はSHINJO)が「1番・センター」でスタメン出場すると、予測不能のプレーでファンを大いに沸かせた。

 初回の第1打席は予告ホームランの構えからのセーフティバントが失敗に終わったが、続く3回の第2打席では左中間を破る2塁打で出塁。そして2死ながら3塁に進むと、打者・小笠原道大(日本ハム)の4球目を終えた後、捕手・矢野輝弘(現・燿大、阪神)から投手・福原忍(阪神)へと返球される間に、猛然と走りだし、本塁へヘッドスライディング。判定はセーフ。新庄は寝ころんだまま両手を叩いて地面を叩き、喜びを表現した。

 球宴史上初となる単独本盗成功。続く第3打席でも2塁打を放った新庄は、オールスター戦を前に「MVPは僕のものです」と宣言していた通り、有言実行でMVPを獲得。試合後のヒーローインタビューでは「これからはパ・リーグです!」と高らかに宣言した。

【2010年代】大谷翔平の162キロ

 度肝を抜いた。2014年7月19日の球宴第2戦(甲子園)。プロ2年目の20歳、“怪物”大谷翔平(日本ハム)が超満員のスタンドをどよめかせた。

 全パの先発として登板。先頭の鳥谷敬(阪神)に対し、初球に161キロストレートで見逃しストライクを奪って08年にクルーン(巨人)が記録した球宴最速記録に並ぶと、続く2球目、鳥谷がバットに当ててファウルとなったボールが162キロを計測。電光掲示板の球速表示に甲子園が揺れた。

 その後、5番の阿部慎之助(巨人)との対戦でも162キロをマーク。この日投じた23球中、実に12球が160キロ超え。規格外の能力を改めて世間に見せ付け、同年の11勝、翌年の投手三冠、そして16年クライマックスシリーズでの165キロを予感させるパフォーマンスだった。そしてこの男の伝説は、まだ継続中である。