岩瀬、稲尾、伊藤…史上最強の「スライダーの使い手」は誰だ?

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 中日の岩瀬仁紀が6月の月間最優秀選手(MVP)に選ばれた。岩瀬は6月に14試合に登板して1勝1セーブ、10ホールドをマークし、月間防御率は0.00と完璧な成績で、12年ぶり2度目の受賞となった。

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 通算403セーブで、プロ野球最多セーブ記録保持者である岩瀬の武器がスライダーだ。今季は「脱スライダー」に活路を見いだしたと言われるが、全盛時の「真横に滑る、打者の手元で加速する」と言われたスライダーは、岩瀬の代名詞となっていた。

 スライダーは現在ではもっともポピュラーな変化球だが、変化の大小やスピードなどで、分類が非常に難しい球であるとも言われている。そのような細かい定義はいったん置いておくとして、過去に、そして現在にはどんな「スライダーの使い手」がいるのか、文字数の制限内で名前を挙げてみる。

 日本球界でスライダーの元祖と言われるのが、1950年に日本初の完全試合を達成した藤本英雄(巨人など)。もともとは速球を主体にした剛球派投手だったが、肩を痛めたことがきっかけで、スライダーを駆使する技巧派となり、通算200勝も記録した。そしてスライダーという変化球を世に知らしめたのが、1950年代から60年代に「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた稲尾和久(西鉄など)。実はシュートが決め球だったという稲尾だが、変化の大小をつけたスライダーで、小さく曲がる高速スライダーは、現在で言うカットボールだったと本人は証言している。

 60年代に活躍した成田文男(ロッテなど)の高速スライダーは「魔球」と言われた。アンダースローの皆川睦雄(南海)は、左打者対策として内角へ変化の小さいスライダーを武器にしていた。この2人のスライダーも、現在で言えばカットボールの部類に入ると言われている。また70年代には稲尾の教えも受けた東尾修(西武)が登場した。東尾も稲尾と同様に、シュートとの組み合わせで両サイドを駆使し、打者を翻弄した。

 スライダーが変化球の主流となりつつあった80年代から90年代には、数々の印象に残る名手が登場した。斎藤雅樹、桑田真澄と並んで巨人の3本柱を形成した槙原寛己、スライダーで最速147キロを記録したという郭泰源(西武)、広島で先発、抑えとして活躍した佐々岡真司、大阪近鉄のストッパーとして活躍した赤堀元之、西武でノーヒットノーランを3度逃した西口文也、阪神でJFKと呼ばれたリリーフの一角を占めたジェフ・ウィリアムス、横浜の日本一に貢献し、メジャーでも活躍した斎藤隆など、まだまだ名前は挙がりそうだ。

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