人口ほど政策によるコントロールが難しいものはない。なぜなら出生率は単なる経済や労働の問題ではなく、人々の価値観、家族関係、教育など極めて複雑な要素が絡み合うからである。そもそも、日本は20代、30代の女性の数は右肩下がりで減少しており、仮に出生率が上がっても、子どもの数は増えることはない。日本より国民所得が高く労働時間が短いドイツは、ワークライフバランスがよいことで知られるが、そのドイツでも日本と同程度の出生率でしかない。出生率の高いアメリカやフランスはいずれも移民国である。すでに日本はチェックメイト(八方ふさがり)なのである。

 このままいけば、あらゆる業種で人が決定的に足りなくなる。すでに農業従業者の平均年齢は67歳だ。農業などの第1次産業はいうに及ばず、前述の鉄道・バスや電気・水道などのインフラから、サービス業、そして国の基幹をなす製造業まで、日本は持続可能性が危ぶまれる巨大な限界集落=「限界国家」と化す。

 なかでも深刻なのは、やせ細る生産力人口に反比例して、需要ばかりが右肩上がりで上り続ける「介護」の分野だろう。中央大学の山田昌弘教授は、2040年には年間20万人の孤独死が発生する可能性があると警告する。年間20万人とは週にすれば約4千人、これは年間の交通事故死者数に匹敵する。いかにすさまじい状況が待ち受けているのかが理解できるだろう。この国が「姨捨列島」と化す、と表現しても過言ではない。

 では本当に解決策はないのだろうか? 著者が提案するのは、選択的に外国人の定住化を図るということである。製造業、サービス業や農林水産業の現場で働くアジアの若者を受け入れ、優秀な人材には定住の可能性を認めるというものである。

「選択的」にとは、従来の高度人材の受け入れに加えて、対日関係のよい東南アジアから日本語が一定レベルでき、高校卒や職業訓練を受けた青年を受け入れる。そして、例えば3年後に日本語の能力向上や安定した職業があることなどを前提に定住を認めるということである。

 当初は小さな単位で受け入れ、その経験をもとに段階的に増やしていくべきだ。最初から、何十万人もの受け入れは失敗の元になる。

 世界では人口爆発が起こっている。現在、74億人の世界の人口は毎年、7千万人ずつ増えている。人々が溢れる世界の中で、日本は人口激減に直面しながらも人材鎖国を続け、人口減少によって老衰死の道を選ぶのか。世界から見れば、これほど不可思議で滑稽な国はないだろう。
日本がこのまま人口減少による衰退の道を選ぶのか、国を開き多様性の中に新たな可能性を見いだすのか、日本人は岐路に立っている。