「映画出演300本記念作品『雪之丞変化』あたりからはさすがにもう映画は無理だと思っていたようです。父は常にファンに気を配っていましたから、映画のクローズアップは無理だけど、テレビではまだ大丈夫だと考えて『赤穂浪士』のお話をうけたのだと思います。常にファンへのサービスを優先していましたから、映画の大スクリーンでは無理でもテレビ画面ならファンの声援に応えられると思ったのでしょう」

 それを裏付けるように、長谷川本人がインタビューに答えて次のように語っている。

「地方のファンの方々から“ぜひテレビに出てほしい”といった便りが矢つぎ早やに舞い込んできました。出演決定のニュースと同時に、今度は“ありがとう”の感謝のお便りがたくさん届きました。私はしみじみと今度のテレビ出演はよかったと思っています」(毎日新聞)

 その他のキャスティングでは、歌舞伎界から守田勘弥、坂東三津五郎、映画界から山田五十鈴、志村喬、新劇界から宇野重吉、滝沢修などの大物、舟木一夫という当時人気絶頂のアイドル歌手までも起用された。

 他局から「札束番組」と揶揄されたほどのキャスティングは、NHK大河ドラマにかける意欲の現れでもあった。「日本人が最も好きな忠臣蔵、空前絶後の超豪華配役」の「赤穂浪士」のクライマックスは吉良邸討ち入りだ。その吉良邸のセットをどこに、どのように作るかが最大の問題だった。

 制作助手だった大原誠氏は自著「NHK大河ドラマの歳月」で次のように述懐している。

〈まずオープンセットの場所をどこにするか。討ち入る吉良邸は相当に大きなものだったと考証班が調べ上げます。東京都内でそう簡単に広大な空き地などありません。そこで富士見ヶ丘(東京都杉並区)のNHKグラウンドに白羽の矢が立ちました。そこに約九百平方メートル、総面積千二百平方メートルの吉良邸が一週間がかりで建てられたのです〉

 大佛の「赤穂浪士」を原作とする劇化はこれまで、映画化が4回、テレビドラマ化が3回なされているが、質量ともにこのNHK大河ドラマ版に勝るものはない。最高視聴率は53.0%(平均視聴率は31.9%で歴代4位)で、昭和39年の日本は東京オリンピックと「赤穂浪士」で沸いたという世相が浮かび上がってくる。(文/植草信和)

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植草信和

植草信和

植草信和(うえくさ・のぶかず)/1949年、千葉県市川市生まれ。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。

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