全仏4回戦は逆転勝利を収めた、錦織圭(写真:Getty Images)
全仏4回戦は逆転勝利を収めた、錦織圭(写真:Getty Images)

「うーん……そうですね。まあ、まあ単純っちゃあ単純なんですが……」

 約3時間前のコートに時間を巻き戻し、彼はその時の胸の内を探りながらも、最後は最もシンプルで、最も真実に近い答えを口にした。

「悔いを残して、コートを去りたくはなかった。今一番できる最大のテニスだったり、努力をコート上で残して終わろう……2セット目以降からはそう考えました」

 全仏オープン会場で2番目に大きなスタジアム「コート・スザンヌ・ランラン」に組まれた、ファンも好ゲームを期待する、4回戦、錦織圭対フェルナンド・ベルダスコ。その第1セットがわずか26分、0-6のスコアで終わった時、観客たちは戸惑いと不安が入り交じるため息と、不満を示すブーイングすら吐き出した。

 15本ものエラーを喫したこのセットの錦織の苦しみの訳はいくつかあっただろう。日差しを浴び乾いたコートはボールを高く跳ね上がらせ、しかも時折つむじ風のように吹き抜ける突風が、ベルダスコのトップスピンを不規則に揺らしていく。3連戦のため「筋肉痛があった」という錦織の足の運びは明らかに重く、特に、身体をひねる動きに不安があるとの声も漏れ聞こえていた。思うように動かぬ身体に募らせたいら立ちは、対戦相手のベルダスコの目にも「彼は自分に対して腹を立てている。疲れもあるようだ」と映る。その錦織に立て直す隙を与えまいと、自慢のフォアで試合を加速するベルダスコ。対する錦織は「長いラリーを避けようとし、焦ってミスが増える」という負のサイクルに身を投じた。

 第1セットを落とし、手にしたタオルを引きずるようにベンチに沈む錦織の姿を目にした観客は、その大半が、試合の行方は決したと半ば確信しただろう。記者席にいた各国のジャーナリストも、「圭はケガでもしたのかな?気の毒に」との言葉を残して席を立った。

 この時にスタジアムを覆った喧騒は、錦織の耳には、ほとんど届いていなかったという。代わりに自分と向き合う彼が考えたことは、「1ポイントずつ戦おう」ということだけだった。「勝ちたい」という渇望が疲労と失意を上回り、「身体が動かない訳ではない」と己を奮い立たせる。そのうえで、第1セットは何がうまくいかず、どうすれば打開できるのかを分析し解を導き出すほどに、頭の中は冷静だった。

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