通算2千安打を達成し、ファンの声援に応える中日の荒木=山本正樹撮影(c)朝日新聞社
通算2千安打を達成し、ファンの声援に応える中日の荒木=山本正樹撮影(c)朝日新聞社

 中日の荒木雅博が6月3日の楽天戦(ナゴヤドーム)の4回1死からライト前ヒットを放ち、史上48人目となる通算2000安打を達成した。本工高から1995年秋のドラフト1位で中日へ入団。二塁手として2004年から3年連続ベストナイン、6年連続ゴールデングラブ賞、2007年には盗塁王に輝いた“バイプレイヤー”が、プロ生活22年をかけて偉大な記録に到達した。

 高校時代は甲子園に2度出場するも、目立った活躍はなし。3年夏は県大会準決勝で敗退した。ドラフト1位での入団ではあったが、福留孝介(現阪神)、原俊介(元巨人)の“外れの外れ”の1位。「天才」と呼ばれて高卒1年目から110試合に出場して75安打を放った立浪和義とは対照的に、入団5年目までは計15安打のみ。2000安打を放った48人中、入団5年間で100安打に届かなかったのは荒木だけ。本人も「もう帰りたいし、やめたいばっかりですね。若い頃は」と振り返る。

 プロ初安打は1997年6月11日の広島戦(広島)で高橋建から放ったが、「バッティング練習を見ても、『プロ野球選手か?コイツ』という感じだった。自分でもそう思っていた」と本人は言う。そこからスイッチヒッターに挑戦するなど試行錯誤を続け、ようやく6年目の2001年にレギュラーに定着。その後、自己犠牲の“落合野球”の中で1本ずつ、コツコツとヒットを積み重ねた。2000安打の中で本塁打は33本のみ。こちらも48人の2000安打達成者の中で最少の数字である。

 それでも数多くのヒットを放つことができたのは、類まれな“足”があったから。1軍で出番を得たのも代走から。規定打席以上での打率3割到達は2006年の1度(打率.300)のみだったが、レギュラーに定着した2001年以降は出場試合数と同数レベルのヒット数を放ってきた。それを可能にした一つの理由として「1番打者」であったことが挙げられる。他の打者が3度打席に立つ中で荒木は4度、4度の時は5度、その繰り返しがヒットの確率をアップさせた。

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