「認知症になっても楽しく暮らすことができる」と話す丹野智文さん
「認知症になっても楽しく暮らすことができる」と話す丹野智文さん

 認知症になると何もできない、もう終わりだ――なんて思っていないだろうか。答えは否、だ。39歳のときにアルツハイマー型認知症と診断された仙台市の丹野智文(ともふみ)さん(43)は、今も仕事を続け、妻や子どもたちとともに幸せな日々を送っている。病気とつきあい、ともに歩みながら、診断後も幸せでい続けられる理由とは何なのだろうか。本人のメッセージをお届けする。

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 私は39歳の時に若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。営業の仕事をしていましたが、その5年ほど前から人より物覚えが悪いなと感じ、それまでは手帳に予定を記入していましたが、ノートに変更し、仕事の内容を書くようにしました。

 ある日、毎日顔を合わせているスタッフの名前も出てこなくなり、声をかけたくてもかけられなくなりました。おかしいと感じ、病院へ行きました。大学病院で詳しい検査をした結果、アルツハイマーだと診断を受けました。妻と一緒に医師の話を聞きましたが、その時には心配をかけたくないと思い、平然とした顔でいました。妻は泣いていました。

■「認知症=人生の終わり」だと思っていた

 自分一人になると目から涙がこぼれてきました。私の中で「アルツハイマー=終わり」だと思いました。病気の事で頭が一杯になり、不安で夜は眠れませんでした。病気のことをインターネットで調べると、悪い情報ばかりが目につきました。調べれば調べるほど絶望を感じていきました。

 ある日、「認知症の人と家族の会」というものがあるのを知り、集いに参加しました。私より前に不安を乗り越えた認知症当事者との出会いにより、10年たっても元気でいられることを知り、少しずつ不安が解消され、「認知症=終わり」ではないことに気付きました。私が選んだのは認知症になったことを悔やむのではなく、認知症と共に生きるという道です。

■勤務先の社長が言った言葉は「長く働ける環境をつくるから」

 アルツハイマーとわかった後、妻と二人で職場の社長と上司に診断内容を話しました。社長は「長く働ける環境を作ってあげるから」とおっしゃり、会社の理解のもと、今も事務の仕事を続けています。

 生活していて困った事は、認知症当事者だと誰も気がつかない事です。初期の認知症の人は、見た目には普通の人と何も変わりがないからです。普通に物事も頼まれますが、出来ないこともあり、そうするとすべてが嫌になってしまいます。

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