池谷:ついイライラしたり、うっかりミスをしてしまったり、そんな不安定で不完全な面こそが人間らしさなのかもしれません。「判断が遅い」というのもあるでしょう。フランスのトゥールーズ第一キャピトル大学経済大学院とアメリカのオレゴン大学、マサチューセッツ工科大学の研究者が共同で、AIによる完全自動運転車について意識調査を行いました。事故の際に救うことのできる搭乗者と歩行者の数などが異なる複数のシナリオを提示して、自動運転車に求める性能をたずねたもので、大勢を救える代わりによけた先にいる一人を犠牲にしてもいいか、歩行者を救うために運転者に自己犠牲を強いるかといった、いわゆるトロリージレンマの問題です。「サイエンス」(2016年6月24日)で発表された結果は、理性では大勢を救える功利的な車に賛成だが、自分が乗るなら自己防衛的にプログラムされた車がよいというものでした。人間は自己の中にこうした乖離(かいり)や矛盾を抱えた生き物で、大勢を救えたとしても自動運転で犠牲が出ることに抵抗があるのは、「悩む時間がない」からだと思います。“苦渋の決断”まで悶々とする時間が人間には必要で、瞬時にハンドルを切ってしまうAI車には温かみが感じられないのです。高速処理のコンピューター制御ではなく、脳内のタンパク質やイオンの流れで処理する時間スケールに人間がいる以上、この差は埋まらないのかもしれません。

佐倉:結果は同じでも、そこに至る過程でどれだけ悩んだかによって結果の受け入れ方が変わったり、大量生産より手間をかけた手づくりの伝統工芸品をありがたがったりして、人間は「時間をかける」ことをよしとする傾向ですね。非効率的でミスも多い人間がAIと共存していくには、ものごとの見方や価値観など、これまでとは違う尺度の新たな価値観を見つけていく必要があるでしょうね。

佐倉統/東京大学 大学院情報学環 教授・学環長
1960年、東京都生まれ。京都大学大学院理学研究科修了。理学博士。科学技術を人間の長い進化の視点から位置づけていくために、進化生物学の理論を軸に、生物学史、科学技術論、科学コミュニケーション論などを渉猟して現代社会と科学技術の関係を探る。著書に『現代思想としての環境問題』『進化論の挑戦』など

池谷裕二/東京大学 大学院薬学系研究科 薬品作用学教室 教授
1970年、静岡県生まれ。東京大学大学院薬学系研究科修了。薬学博士。神経科学および薬理学を専門とし、海馬や大脳皮質の可塑性を研究。最新の脳科学の知見を出し惜しみせず、分かりやすく伝える。『海馬』(糸井重里氏との共著)、『のうだま』(上大岡トメ氏との共著)、『単純な脳、複雑な「私」』など著書多数