海東隆弘(かいとう・たかひろ)/1992年入社。京都支店で約10年、本社で約5年、企業営業を担当。その後、名古屋支店の火災保険を中心とした保険金支払い部門を経て、2012年4月から本店専門保険金サービス部医療保険金サービス第一課課長。好きな言葉は「努力に勝るものはない」(撮影/写真部・東川哲也)
<br />
海東隆弘(かいとう・たかひろ)/1992年入社。京都支店で約10年、本社で約5年、企業営業を担当。その後、名古屋支店の火災保険を中心とした保険金支払い部門を経て、2012年4月から本店専門保険金サービス部医療保険金サービス第一課課長。好きな言葉は「努力に勝るものはない」(撮影/写真部・東川哲也)
菊池市に置かれた菊池デポ(撮影/写真部・東川哲也)
<br />
菊池市に置かれた菊池デポ(撮影/写真部・東川哲也)
ヘルメットも大量に持ち込まれた(撮影/写真部・東川哲也)
<br />
ヘルメットも大量に持ち込まれた(撮影/写真部・東川哲也)

 2016年4月14日、地震が発生。損保ジャパン日本興亜は翌15日、熊本県に「災害対策本部」を設置した。最前線の拠点では、被災者でもある地元社員も保険金の支払いに走り回っていた。

*  *  *

 熊本市の北に位置する菊池市に設置された菊池デポは最大の実調(実地調査)拠点となった。現場責任者は海東隆弘、本店専門保険金サービス部医療保険金サービス第一課の課長だ。約40人の部下を残し、海東もまた2週間、ここで現場責任者を務める。実調の進捗状況を確認し、問題点を探りながら、デポを運営する。

 6月初旬、ここには実調を担当する全国からの応援社員約100人、書類の整理や備品などを手配する内勤社員約20人が配属されていた。応援社員はほぼ2週間交代でやってくる。そして、旅館の6畳部屋に4、5人で寝泊まりする。実調担当者は毎朝7時ごろ、デポを出発する。遠いところでは車で片道約2時間かけて契約者宅を訪問。被害を査定し、その場で保険金請求の手続きまですませる。査定が難しいと予想される場合は、社外の鑑定人や1級建築士と連れ立って実調にあたる。一日に多くて4件を手がけ、夕方、デポに帰ってくる。

「地震保険は建物の再建というよりも、被害に遭われたお客さまの生活の継続を担保するものです。とにかく早くお客さまに保険金をお支払いするのがわれわれの使命なのです」(海東)

 自宅が被害に遭い、避難所生活を余儀なくされた契約者もいる。そういう人たちに保険金で生活環境を整えてもらう。これが地震保険の役割なのだという。

 菊池デポには、作業服、ヘルメット、メジャーなど実調に必要な大量の備品が持ち込まれた。現場では蚊に刺されることも多い。虫よけのスプレー、かゆみ止め、きず薬なども用意された。

「ふだん営業を担当する社員も保険金のお支払いに携わっています。われわれは保険会社の社員というよりも、まずひとりの人間として被災された方の状況を思い、いたわりの言葉をおかけしながら保険金のお支払いをさせていただいています」(海東)

 菊池デポの2階ロビーにあるホワイトボードには、契約者から届いた数多くの声が書き出されていた。

<今回の熊本地震にあい、多くの人の対応をされたと思います。こんなに早く対応していただき本当に助かりました>

<迅速かつ大変親切な対応に涙が出ました。本当に助かりました>

 地元・熊本の社員は、損保会社の一員でありながら、同時にまた被災者でもあった。なかには数日、駐車場の車に寝泊まりしながら出勤した社員もいたという。そして、全国から駆けつけた応援派遣……それはまさに損保ジャパン日本興亜がグループの力を結集して取り組んだ結果だ。

 菊池デポのフロア入り口に貼り紙があった。誰が書いたか定かではないが、こうつづられていた。

<熊本災対ある限り全社員は伴(とも)にいる>

(アエラムック編集部・西島博之)

※AERA企業研究シリーズ「損害保険ジャパン日本興亜 by AERA」から