この本を読み、自分に足りなかったのが“意識”、心技体の心の部分だと気付いた三宅選手。それまで、メニューの考案などは父に委ねていた三宅選手の中に、強い覚悟と自立心が芽生えた。

 すべてを自分で決めて練習に励むようになると、飛躍的に記録は伸び、ロンドンオリンピックでは、見事に銀メダルを獲得する。しかし「その先のリオへの4年間は本当に苦しかった」と昨年までの道を振り返る。

 アスリートの世界で20代後半は体力の衰えを感じる時期だ。三宅選手は腰の故障と回復の遅さに苦しめられていた。

「体がついてこないことに苛立ち、受け入れられず、心が折れ、再び心技体がバラバラになっていました」

 リオデジャネイロ入りした時、三宅選手の腰は悲鳴をあげていた。痛み止めを打って挑んだオリンピックで、1つめの種目「スナッチ」の1本目、2本目を失敗してしまう。次を失敗したら記録なしで終わってしまう。そんな状況の中、三宅選手は見事3本目を成功させる。さらに、続いて行われた「ジャーク」では、銅メダルか、4位かの瀬戸際で、見事自分に打ち勝った。

「ありのままの自分を受け入れたら、満身創痍(そうい)の体を心と技術が支えてくれました。そして、見えない力に支えられている気がしたんです。それまで積み重ねてきた4年間の1日1日、そして、応援してくださった方々から大きなパワーをもらったのだと思います」

 調子が悪くても、うまくいかない時も、今日の自分でせいいっぱい生きること。そうすれば、願う場所に、必ずたどり着くことができる。酒井さんが伝えた生き方の基本は三宅選手の中にしっかりと根付いている。

「一日を一生のように生きる。これから3年かけてまた、30歳を超えた自分が目指す道。一日一日を大切に歩む中で、心技体がどのようにバランスしていくのか。今はとても楽しみにしています」