三宅宏実選手(撮影/写真部・加藤夏子)
三宅宏実選手(撮影/写真部・加藤夏子)

「東京で、オリンピックに出られる可能性が1%でもあるのなら、そこを目指してみたい」

 自身5度目となるオリンピックへの挑戦を口にしたのは、ウエートリフティング銅メダリストの三宅宏実選手だ。痛めた腰の養生に努めていた三宅選手だが、2017年に入り、練習をスタートさせていた。小さな体に秘められた闘志には、並々ならぬものを感じる。そんな彼女の原動力とは何なのだろうか?

 三宅選手がウエートリフティングをはじめたのは、15歳のとき。女子がはじめて採用されたシドニー大会をテレビで見ていて「わたしもやりたい!」と、名乗りを上げた。

 父の三宅義行さんはメキシコ五輪銅メダリストで、伯父の三宅義信さんも東京・メキシコ五輪で金メダリスト。サラブレッドは重量挙げ界の期待を一身に背負い、父と二人三脚でオリンピックを目指す。しかし、アテネは9位、北京は6位に終わり、メダル獲得はならなかった。

「何が問題なのかわからず、本当に苦しくて身も心も潰れてしまいそうだった。『このままではダメになる。自分を変えなくては。でもどうしたら?』。そんな気持ちで、ふらりと入った書店で、ある1冊の本に出会ったんです」

 それは、天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)、酒井雄哉(ゆうさい)さんが書いた『一日一生』という本だった。三宅さんが欲しかった「答え」が、この本にすべて書かれていた。

「今の自分にできることを、今一生懸命やっていけば、大きなことも成し遂げられる……それは、父からも毎日のように言われていた言葉でもあったんです」

 著者である酒井さんの人生は壮絶だった。太平洋戦争時に予科練へ志願し、仲間たちが次々と命を落とす中で生きながらえるも、戦後は職を転々とした。その後結婚するも、わずか2カ月で妻が自殺。失意の中でたどり着いたのが比叡山だった。

 39歳の時、得度。新たな人生を得て、20代の若者たちに交じって叡山学院で学び、72年3月、首席で卒業する。数々の厳しい行を経て、死と隣り合わせの荒行、千日回峰行を54歳と60歳で、2度満行。戦後、この荒行を成し遂げたのは、たった2人だという。

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