そんな彼女が、毀誉褒貶の激しいAKB48というグループの顔として矢面に立ち続け、その激動の時期を終えて卒業していくという一連の歩み。それ自体、彼女がまとっている孤高な空気感に、いっそう気高さを付加するものだった。

 その彼女の個性と、グループからの卒業というある種の解放との結節点が、2013年の主演映画「もらとりあむタマ子」(山下敦弘監督)だった。同作は大学卒業後、職に就かずに実家に戻り、怠惰な日々を送りながら、ささやかな前進をみせるまでが描かれた。少し周囲から浮き上がったような彼女独特の存在感と、グループ卒業から間もない、まさにモラトリアムを思わせる時期が幸せな相乗効果を生み、その演技は高評価を得た。

 このように、彼女がAKB48在籍時から一貫して保ち続けている異質な存在感は、そのまま女優業でも大きな強みになっている。その観点でいえば、「毒島ゆり子~」や「就活家族」で前田が見せた成長はむしろ、「普通の人物像」を描き出す能力の向上だろう。

 「毒島ゆり子~」はたしかにラブシーンの多さや、タイトルにも冠された「赤裸々」さゆえに、ゆり子の奔放さに目が向きやすい。けれども、彼女が人生のままならなさに葛藤するさまも他者を求める姿勢も、決して理解しがたいものではなく、人間的な親しみを感じさせる。

 また、「就活家族」の栞役で彼女が見せたのは、職場での困難や恋人との関係に思い悩む、ゆり子よりもさらに「普通の人物」の姿だった。こうした人物像と自身の存在感を自然に融合できることこそ、彼女の演者としての成熟と呼ぶにふさわしい。

 もちろん、前田が本来備えている異質な存在感は強力な武器である。AKB48卒業後、初の舞台演劇出演となった「太陽2068」(演出・蜷川幸雄)で、旧型の人種から新型人種へ変異する娘・結を演じた彼女は、物語の序盤と終盤とで恐ろしいほどの表情の転換を見せた。また2015年の舞台「青い瞳」(作・演出=岩松了)では、岩松特有の緊張感にフィットするたたずまいで鮮烈な印象を与えた。いずれも、技巧的な要素を超えたところにある、前田独特の異質さがもたらした、役者としての凄みである。

 もともと備えている異質な存在感と、「普通」をなめらかに演じる技量。その両輪が整いつつあるからこそ、彼女の本領はこれからようやく発揮されるはずだ。世間を圧倒する女優・前田敦子の代表作は、我々がまだ見ぬ未来にある。(ライター・香月孝史)